クスコ王国 歴史

クスコ王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/19 01:25 UTC 版)

歴史

初期クスコ王朝

インカ族=ケチュア族は、12世紀頃にクスコ地方で部族として成立し、マンコ・カパックの指揮の下、下図の赤く示された範囲に小規模の都市国家を形成した。

クスコ王国の初期王朝のサパ・インカは、順にマンコ・カパックシンチ・ロカリョケ・ユパンキマイタ・カパックカパック・ユパンキである。これら初期の統治者については、後にカパックが将軍をシンチが指導者を意味するようになったなど、わずかの情報しか知られていない。一般には、1200年頃に王朝が始まったとされている。

第2クスコ王朝

第2王朝のサパ・インカは、順にインカ・ロカヤワル・ワカウィラコチャパチャクテク(インカ帝国の最初のサパ・インカと見なされている)である。第2王朝は「下王朝」(hurin)から「上王朝」(hanan)への優越性の変遷を示している。

インカ帝国

1438年に最上位の王サパ・インカとなったパチャクテク(ケチュア語で世界を震撼させる者の意)の命令下、クスコ王国は壮大な遠征による拡大を始めた。彼による征服地はアンデス山脈のほぼ全て、およそ13植民地程度の広さとなった。

パチャクテクはクスコ王国をタワンティン・スウユ(4つの州の意、インカ帝国の正式名称)という、北西部のチンチャイ・スウユ、北東部のアンティ・スウユ、南西部のクンティ・スウユ、南東部のコジャ・スウユからなる強力な指導者に率いられた4州政府とインカを戴く中央政府とを基礎とする連邦制帝国に再編した。パチャクテクはまた、本拠地か離宮としてマチュ・ピチュを造ったと考えられている。




「クスコ王国」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クスコ王国」の関連用語

クスコ王国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クスコ王国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクスコ王国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS