オナーアンドグローリー 経歴

オナーアンドグローリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 02:28 UTC 版)

経歴

競走馬時代

2歳時のに1995年サラトガ競馬場で競走馬デビューし、デビュー戦で初勝利を挙げた。続くG1競走初出走となったフューチュリティステークスでは3着だったが、次のブリーダーズフューチュリティを制して重賞初勝利を挙げ、ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルに挑んだが4着だった。

3歳となった1996年は、重賞1勝を含む3戦2勝2着1回でサンタアニタダービーに出走し2着となった。しかし肝心のケンタッキーダービーは18着という結果に終わったが、次のメトロポリタンハンデキャップを制してG1競走初勝利を挙げた。その後の勝利はG2を1勝しただけだったが、ヴォスバーグステークスでは2着となり、NYRAマイルハンデキャップで4着となったのを最後に競走馬を引退した。

引退後

1997年よりアッシュフォードスタッドで種牡馬入りし、2005年/2006年シーズンにはアルゼンチンのポム牧場にリースされ、アルゼンチンでも産駒が活躍している。 日本にも競走馬としての産駒が輸入され、ネームヴァリュー2003年帝王賞を制すなど日本でも活躍馬を輩出している。 2018年大腿骨の骨折に苦しんで死去した[2]

年度別競走成績

  • 1995年 4戦2勝
    • 1着 ブリーダーズフューチュリティ(G2)
    • 3着 フューチュリティステークス(G1)
  • 1996年 13戦4勝
    • 1着 サンラファエルステークス(G2)、メトロポリタン(G1)、キングスビショップハンデキャップ(G2)
    • 2着 サンヴィセンテステークス(G3)、サンタアニタダービー(G1)、アフェノメノンステークス(G2)、ヴォスバーグステークス(G1)、ブージャムハンデキャップ(G2)
    • 3着 ブリーダーズカップスプリント(G1)

主な産駒

母父としての主な産駒


  1. ^ Honour and Glory (KY)2019年2月14日閲覧。
  2. ^ a b Met Mile Winner Honour and Glory Dies in Uruguay2019年2月14日閲覧。


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