エブロ川 歴史

エブロ川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 08:00 UTC 版)

歴史

ミランダ・デ・エブロを流れるエブロ川

紀元前264年から紀元前241年の第一次ポエニ戦争後、エブロ川は北岸のローマ人領域と南岸のカルタゴ人領域を隔てる自然的境界として使用された。ローマはカルタゴのハンニバルイベリア半島に影響力を増大させることを恐れ、エブロ川のかなり南にローマの保護領としてサグントゥムの町を形成した。ハンニバルはこの協定をローマの攻撃的な姿勢であると分析し、ローマに対して第二次ポエニ戦争を起こした。

スペイン最古のシトー会修道院のひとつであるルエダの聖母王立修道院英語版はエブロ川河岸に位置する。この王立修道院は1202年に建設され、建物はオリジナルの状態で現存している。修道院はエブロ川と強く結び付いており、スペインで電力生産のために建設された最初期の大規模水車を使用した。この修道院はエブロ川の流れを建物内に取り入れ、水力によるセントラルヒーティングシステムを構築した。歴史的にエブロ川の流域にはナバラ王国アラゴン王国が栄えた[2]。16世紀には全長116kmのアラゴン・インペリアル運河スペイン語版が建設された[2]

スペイン内戦中の1938年には、内戦でもっとも激しかった戦いのひとつであるエブロ川の戦い (英語版が起こった。共和国軍は第一次戦に勝利したが、結局は反乱軍の勝利に終わり、共和国軍は目標としていたガンデーザの町に到達することができなかった。

経済

リオハワインのブドウ畑の景観

乾燥地帯を流れる割には水量が豊富だとされる[2]。ピレネー山脈にある支流には多くのダムが建設され、スペイン全体の20%近くに達する水力発電所からの発電量は、主にバスク州カタルーニャ州の工業地帯に供給される[2]

オリーブは乾燥には強いものの寒さには比較的弱い植物であり、エブロ川中流域がオリーブ栽培の北限である。中流域よりも下流側では地中海式農業を行うことができる。中流域では牧草テンサイなどが生産され、ブドウはリオハ・ワインに用いられる[2]。非灌漑地域では穀物が栽培されている[2]。エブロ川最下流部は地中海性気候であり、夏季に乾燥する地域であるものの、エブロ川の豊富な水量を利用して、豊富な水を必要とする稲作が行われている場所も存在する。特に、河口部の鳥趾状三角州は商業的な稲作が行われている地域として知られている。

文化

アーネスト・ヘミングウェイの短編小説『白い象のような山並み』はエブロ川の谷を舞台としている。

エブロ河の谷の向こうの丘は長く白かった。こちら側には、日陰もなく、木立もなく、停車場が陽をあびて2本の線路のあいだにあった。駅舎の側面にぴったりと、その建物の影がなまあたたかくさしていた。竹の輪をじゅずつなぎにしたすだれが酒場に通じる開けっぱなしの戸口にかかり、蠅をふせいでいた。 — 『白い象のような山並み』冒頭部分

  1. ^ a b c 高橋 et al. 2013, p. 707.
  2. ^ a b c d e f g 池上 et al. 2001, p. 55.
  3. ^ Westrem, Scott D. The Hereford Map: A Transcription and Translation of the Legends With Commentary, page 328. Brepols, 2001.
  4. ^ Ebro Delta Natural Park


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