インドの歴史 インドにおけるヨーガの歴史

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インドの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 04:44 UTC 版)

インドにおけるヨーガの歴史

インダス文明

インダス文明が後世のインド文明に与えた影響として、沐浴の習慣やリンガ信仰などが挙げられるほか、彼らの神像がシヴァ神の原型でありヨーガの源流になったと考えられてきていた。

紀元前2500-1500年頃の彫像

これは、1921年にモエンジョ・ダーロハラッパーの遺跡を発掘した考古学者のジョン・マーシャルらによって、発掘された印章に彫られた図像を、坐法を行っているシヴァ神の原型であると解釈したものである[15]。そこから宗教学者エリアーデも、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であるとした[15]

近代に至るヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンは、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、古代のヨーガの起源としてたびたび引用されるようになった、と述べている[15]

しかし、佐保田鶴治も指摘するように、このような解釈は、あくまで推論の域を出ないものであるという[16]。インダス文明には、文字らしきものはあっても解読には至っておらず、文字によって文献的に証明することのできない、物言わぬ考古学的な史料であり、全ては「推測」以上に進むことはできない、と佐保田は述べている[16]

また、インド学者のドリス・スリニヴァサンも、この印章に彫られた像をシヴァ神とすることには無理があり、これをヨーガ行法の源流と解することに否定的であるとしている[17]

近年、このようなヨーガのインダス文明起源説に終止符を打とうとした宗教人類学者のジェフリー・サミュエルは、このような遺物からインダス文明の人々の宗教的実践がどのようなものであったかを知る手がかりはほとんど無いとし、現代に行われているヨーガ実践を見る眼で過去の遺物を見ているのであり、考古学的な遺物のなかに過去の行法実践を読み解くことはできないとしており[18]、具体的証拠に全く欠ける研究の難しさを物語っている。

前期ヴェーダ時代

紀元前12世紀頃に編纂されたリグ・ヴェーダなどのヴェーダの時代には「ヨーガ」やその動詞形の「ユジュ」といった単語がよく登場するが、これは「結合する」「家畜を繋ぐ」といった即物的な意味で、行法としてのヨーガを指す用例はない[19]。比較宗教学者のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義のヴェーダの時代)と述べている[20]

ウパニシャッドの時代

ウパニシャッドの時代では、単語としての「ヨーガ」が見出される最も古い書物は、紀元前500年 - 紀元前400年の「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』である[21]。この書では、ヨーガという語は「ヨーガ・アートマー」という複合語として記述されているが、そのヨーガの意味は「不明」であるという[21]紀元前350年 - 紀元前300年頃に成立したのではないかとされる「中期ウパニシャッド」の『カタ・ウパニシャッド』にはヨーガの最古の説明が見い出せる[22]

古典ヨーガ

パタンジャリの典型的な像

紀元後4-5世紀頃には、『ヨーガ・スートラ』が編纂された[23][24]。この書の成立を紀元後3世紀以前に遡らせることは、文献学的な証拠から困難であるという[23]。『ヨーガ・スートラ』の思想は、仏教思想からの影響や刺激も大きく受けている[25][26]

国内外のヨーガ研究者や実践者のなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」であるとするものがあるが、ヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンはこのような理解に注意を促している。『ヨーガ・スートラ』は当時数多くあった修行書のひとつに過ぎないのであって、かならずしもヨーガに関する「唯一」の「聖典」のような種類のものではないからである[27]。サーンキヤ・ヨーガの思想を伝えるためのテキストや教典は、同じ時期に多くの支派の師家の手で作られており、そのなかでたまたま今日に伝えられているのが『ヨーガ・スートラ』である[28]。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーロッパ人研究者の知見に影響を受けながら、20世紀になって英語圏のヨーガ実践者たちによって、また、ヴィヴェーカーナンダやH・P・ブラヴァツキーなどの近代ヨーガの推進者たちによって、「基本教典」としての権威を与えられていった[27]

ヨーガ学派の世界観・形而上学は、大部分をサーンキヤ学派に依拠しているが、ヨーガ学派では最高神イーシュヴァラの存在を認める点が異なっている[29]。内容としては主に観想法(瞑想)によるヨーガ、静的なヨーガであり、それゆえ「ラージャ・ヨーガ」(=王・ヨーガ)と呼ばれている。『ヨーガ・スートラ』は、現代のヨーガへの理解に多大な影響を与えている。

後期ヨーガ

12世紀-13世紀には、タントラ的な身体観を基礎として、動的なヨーガが出現した。これはハタ・ヨーガ(力〔ちから〕ヨーガ)と呼ばれている。内容としては印相(ムドラー)や調気法(プラーナーヤーマ)などを重視し、超能力や三昧を追求する傾向もある。教典としては『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』がある。

ヴィヴェーカーナンダ

他に後期ヨーガの流派としては、古典ヨーガの流れを汲むラージャ・ヨーガ、社会生活を通じて解脱を目指すカルマ・ヨーガ(行為の道)、人格神への献身を説くバクティ・ヨーガ(信愛の道)、哲学的なジュニャーナ・ヨーガ(知識の道)があるとされる[30]。後三者は19世紀末にヴィヴェーカーナンダによって『バガヴァッド・ギーター』の三つのヨーガとして提示された[31]

ヨーガの歴史的研究を行ったマーク・シングルトンによれば、近代インドの傾向において、ハタ・ヨーガは望ましくない、危険なものとして避けられてきたという[32]。ヴィヴェーカーナンダやシュリ・オーロビンド、ラマナ・マハルシら近代の聖者である指導者たちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみを語っていて、高度に精神的な働きや鍛錬のことだけを対象としており、ハタ・ヨーガは危険か浅薄なものとして扱われた[32][† 2]。ヨーロッパの人々は、現在ではラージャ・ヨーガと呼ばれる古典ヨーガやヴェーダーンタなどの思想には東洋の深遠な知の体系として高い評価を与えたが、行法としてのヨーガとヨーガ行者には不審の眼を向けた。それは、17世紀以降インドを訪れた欧州の人々が遭遇した現実のハタ・ヨーガの行者等が、不潔と奇妙なふるまい、悪しき行為、時には暴力的な行為におよんだことなどが要因であるという[35][† 3]

近現代のヨーガ

19世紀後半から20世紀前半に発達した西洋の身体鍛錬英語版運動に由来するさまざまなポーズ(アーサナ)が、インド独自のものとして「ハタ・ヨーガ」の名によって体系化され、このヨーガ体操が近現代のヨーガのベースとなった。現在、世界中に普及しているヨーガは、この新しい「現代のハタ・ヨーガ」である。現代ヨーガの立役者のひとりであるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ英語版(1888年 - 1989年)も、西洋式体操を取り入れてハタ・ヨーガの技法としてアレンジした[36][† 4]。 インド伝統のエクササイズ(健康体操)と喧伝されることで、アーサナが中心となったハタ・ヨーガの名前が近現代に復権することになった[37]

2016年、ユネスコが推進する無形文化遺産にインド申請枠で登録された[38]


補注

  1. ^ 都市活動の停止の要因としては、このほか乾燥化によるとする考えやアーリヤ人の侵入の結果とする考えなどがあるが、現在これらの説は否定されている。2007年現在有力視されている説は、土地の隆起によるインダス川の洪水の頻発、ガッガル・ハークラー川の干上がり、これらの要因によるインフラと農業生産力の衰亡である。しかしながら、この環境変動説も考古学的・地質学的証明の裏付けが十分とは言えない[4]
  2. ^ 例えば、近代インドを代表する聖者であるラマナ・マハルシ[33] は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している[34]
  3. ^ シングルトン 2014によれば、これらの行者のなかには、実際にかなり暴力的な方法で物乞いをする者達もいて、一般の人々から恐れられていたらしい。武装したハタ・ヨーガ行者たちは略奪行為を働くこともあった。略奪行為が統治者から禁止されるようになると、行者らはヨーガを見世物とするようになり、正統的なヒンドゥー教徒たちからは社会の寄生虫として蔑視されていた[35]
  4. ^ 伊藤雅之はこれを1920年代から1930年代のこととしているが、シングルトン 2014によれば、少なくともクリシュナマチャーリヤに関して言えば1930年代以降のことである。伊藤論文では西洋式体操から編み出された近代ハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみに帰しているような記述となっているが[36]、シングルトンによれば同時代のスワーミー・クヴァラヤーナンダとシュリー・ヨーゲーンドラも重要であり、クヴァラヤーナンダの活動はクリシュナマチャーリヤに先行している。また、伊藤は近代ハタ・ヨーガにはインド伝統武術に由来する要素もあるとしているが、シングルトンの著書にはそれを示唆する記述はない。

出典

  1. ^ 未解読のインダス文字を、人工知能で解析 (WIRED.jp)[リンク切れ]
  2. ^ 山崎&小西 2007, pp. 38–39.
  3. ^ 山崎&小西 2007, p. 39.
  4. ^ 山崎&小西 2007, p. 40.
  5. ^ Masica, Colin P (1993) [1991]. The Indo-Aryan languages (paperback ed.). Cambridge University Press. p. 36. ISBN 0521299446 
  6. ^ 山崎&小西 2007, p. 82.
  7. ^ 山崎&小西 2007, p. 83.
  8. ^ 山崎&小西 2007, p. 84.
  9. ^ a b 山崎&小西 2007, p. 85.
  10. ^ 山崎&小西 2007, pp. 81–83.
  11. ^ 山崎&小西 2007, p. 103.
  12. ^ 山崎&小西 2007, pp. 103–104.
  13. ^ 河合秀和訳『20世紀の歴史――極端な時代(上・下)』(三省堂、1996年)[要ページ番号]
  14. ^ 中村平治「独立インドの国家建設 -国民の政治参加の拡大-」内藤雅雄・中村平治編『南アジアの歴史 -複合的社会の歴史と文化-』有斐閣、2006年、p.204
  15. ^ a b c シングルトン 2014, p. 33.
  16. ^ a b 佐保田 1973, p. 23.
  17. ^ シングルトン 2014, pp. 33–34.
  18. ^ シングルトン 2014, p. 34.
  19. ^ 山下 2009, p. 69.
  20. ^ 山下 2009, p. 68.
  21. ^ a b 山下 2009, p. 71.
  22. ^ 佐保田 1973, p. 27.
  23. ^ a b 山下 2009, p. 105.
  24. ^ 『世界宗教百科事典』丸善出版、2012年。 p.522
  25. ^ 佐保田 1973, p. 36.
  26. ^ シングルトン 2014, p. 279.
  27. ^ a b シングルトン 2014, p. 35.
  28. ^ 佐保田 1973, p. 35.
  29. ^ 川崎 1993, p. [要ページ番号].
  30. ^ 佐保田 1973, p. 37.
  31. ^ 伊藤 2011, p. 96.
  32. ^ a b シングルトン 2014, p. 99.
  33. ^ ポール・ブラントン 著、日本ヴェーダーンタ協会 訳『秘められたインド 改訂版』日本ヴェーダーンタ協会、2016年(原著1982年)。ISBN 978-4-931148-58-1 [要ページ番号]
  34. ^ デーヴィッド・ゴッドマン編 著、福間巖 訳『あるがままに - ラマナ・マハルシの教え』ナチュラルスピリット、2005年、249-267頁。ISBN 4-931449-77-8 
  35. ^ a b シングルトン 2014, pp. 45–52.
  36. ^ a b 伊藤雅之「現代ヨーガの系譜 : スピリチュアリティ文化との融合に着目して」『宗教研究』84(4)、日本宗教学会、2011年3月30日、417-418頁、NAID 110008514008 
  37. ^ シングルトン 2014, p. 5.
  38. ^ Yoga India Inscribed in 2016 (11.COM) on the Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity Intangible Heritage UNWSCO





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