アンヘル・ベローア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/22 13:44 UTC 版)
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はベローア、第二姓(母方の姓)はセルモです。 |
ニューヨーク・メッツ時代 (2009年) | |
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サントドミンゴ |
生年月日 | 1978年1月27日(44歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 遊撃手 |
プロ入り | 1997年 |
初出場 | 2001年9月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
アスレティックス傘下時代
1997年8月14日、アマチュアのFAとしてオークランド・アスレティックスと契約を結んだ[1]。この年と翌1998年の2シーズンは、マイナーリーグでも試合に出場する機会はなかった。
1999年、マイナー組織 (ルーキー級) の1つであるアリゾナリーグのAZL・アスレティックスでプロデビューを果たした。ここでは46試合に出場し、打率.290・2本塁打・24打点・11盗塁という成績を残して俊足を発揮した。守備面では拙守を呈し、ショートを守った31試合で15失策 (守備率.903) を犯したほか、9試合のサード守備でも3失策を犯した。後に飛び級でミッドランド・ロックハウンズ (AA級) に昇格したが、4試合で打率.059と不振に苦しんだ。守備のレベルもルーキー級と同レベルで、全4試合でショートを守って2失策・守備率.889という成績に終わった。
2000年は、A + 級のバイサリア・オークス (カリフォルニアリーグ所属) に降格して出直しとなった。オークスではショートのレギュラーに定着し、129試合に出場した。打撃面では打率.277・10本塁打・63打点・11盗塁という成績を記録し、プロ初となる2ケタ本塁打、2年連続で2ケタ盗塁をマークするなど、収穫があった。一方、守備力は相変わらずであり、128試合のショート守備で54失策という、驚異的なペースでエラーを量産した。
ロイヤルズ時代
2001年にカンザスシティ・ロイヤルズに移籍し、同年9月18日の対クリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー。
2003年には、松井秀喜やロッコ・バルデッリを抑えてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いているが、その後は伸び悩んでいる。それでも、ロイヤルズでは2003年から2006年までレギュラー格の遊撃手として試合に出場しており、この間4年連続で規定打席に到達している。
2007年にはアトランタ・ブレーブスから移籍してきたトニー・ペーニャにレギュラーを奪われる形となり、わずか15試合の出場となった。この年、メジャーで初めて遊撃手以外のポジション(二塁手・三塁手)でもプレーした。
ドジャース時代
2008年6月6日、ロサンゼルス・ドジャースにトレードされ、ラファエル・ファーカルが故障で抜けた遊撃のポジションを守った。
ヤンキース時代
2009年1月6日に年俸60万ドルでニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。4月25日にメジャー昇格。しかし6月24日にコーディ・ランサムが故障から復帰したことに伴って戦力外となり、7月7日にヤンキースから解雇された。
メッツ時代
7月11日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結ぶと16日にメジャー復帰を果たしたが、8月7日に戦力外となった。
2010年3月22日に解雇された。
ジャイアンツ傘下時代
4月28日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだが、6月26日に解雇された。
ダイヤモンドバックス傘下時代
2011年7月24日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。
独立リーグ時代
2012年4月4日に、カナディアン・アメリカン・リーグのニュージャージー・ジャッカルズと契約を結んだ。7月26日に、球団から野球界から現役引退しサッカーに転向する意思がある事が発表されたが、成績が向上したため撤回した。
メキシカンリーグ時代
2013年はメキシカンリーグのユカタン・ライオンズでプレー。
2015年はラグナ・カウボーイズと契約したが、6月12日に解雇となった。
プレースタイル
新人王に輝いた2003年には17本塁打を放っており、2005年にも2ケタ本塁打をマークしたことがあるが、パワーは平均レベル[2]。俊足且つコンパクトなスイング技術を持っており[3]、リードオフマンとして起用される機会も多いが、大振りする傾向にあり且つ早打ちで、いつまでもその傾向が治っていない[4]。
守備では守備範囲が広く強肩でもあり、球際での強さを生かしたファインプレーも多いが、一方で何でもない送球ミス・捕球ミスが多い[2][5][3][4]。
- ^ Angel Berroa Statistics and History - Transactions - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年2月6日閲覧。
- ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、129頁頁。ISBN 4-331-51040-9。
- ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、165頁頁。ISBN 4-331-51146-4。
- ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、179頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、155頁頁。ISBN 4-331-51093-X。
- 1 アンヘル・ベローアとは
- 2 アンヘル・ベローアの概要
- 3 詳細情報
- 4 関連項目
固有名詞の分類
ニューヨーク・ヤンキースの選手 |
マイケル・ブロワーズ サーマン・マンソン アンヘル・ベローア マリアノ・リベラ アーロン・ブーン |
ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 |
マイケル・ブロワーズ ラファエル・ファーカル アンヘル・ベローア バート・シャーリー カール・スプーナー |
ニューヨーク・メッツの選手 |
エリック・ヒルマン トーマス・オマリー アンヘル・ベローア ライアン・チャーチ ヨーキス・ペレス |
カンザスシティ・ロイヤルズの選手 |
シェーン・マック ウィルソン・ベテミット アンヘル・ベローア ティム・アイルランド ジミー・ゴッブル |
ドミニカ共和国の野球選手 |
アーマンド・ベニテス ラファエル・ファーカル アンヘル・ベローア ディオニス・セサル トマス・デラロサ |
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