とんねるずの生でダラダラいかせて!! 概要

とんねるずの生でダラダラいかせて!!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 15:34 UTC 版)

概要

2時間ドラマ枠である『水曜グランドロマン』を分割し、21時台を『番組の途中ですが…再びたけしです』以来のバラエティ枠に戻したうえで開始した番組である。

本番組は放送開始まで「タイトル・内容、未だ決まらず」としてタイトル・内容が明かされず、事前に放送された番宣CMや雑誌・新聞の広告には「とんねるずの番組」または「とんねるず新番組」と表記したり、さらに大仁田厚を起用して「おい、とんねるず!!何で教えねぇんだよ!!」と怒らせるCMも放送された[注 2]。その後、第1回放送開始の3分後にタイトルが発表された。タイトルに「生で〜」と謳っているとおり、当初は生放送であった。

しかし、番組内容の変化(後述)やとんねるずのスケジュールに制約が出ることが主な理由となって、徐々に録画放送の回が増え、完全にVTR収録による「パッケージ番組」へと変化した。

番組開始当初は、とんねるずと一般公募でスタジオに集められた高校生らがバトルトークを繰り広げる番組であったが、各種バラエティ企画中心の内容に変化していった。

1992年から1996年まではスタジオ内での企画とロケ企画を交えて放送するスタイルを取った。

初年度となる1992年にはバラエティ年間平均視聴率ランキングで4位(1位は『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)、3位は『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ))となり、以後1999年まで、年間平均視聴率ランキングで5位以内に常にランクインした。また、日本PTA全国協議会の「子どもに見せたくない番組」では常に上位常連だった。『とんねるずのみなさんのおかげです』(『とんねるずのみなさんのおかげでした』)、『ねるとん紅鯨団』と並びとんねるずの代表的な番組として数えられることが多い。

最高平均視聴率は1994年3月9日放送分の28.1%。また1990年代の日本テレビ黄金期を代表する番組でもあった。

1997年頃からロケ企画の比率が高くなり、1998年以降はオールロケ番組となった(スタジオでメイン出演者がロケ映像を見るという形式をロケのみに変更した番組としては、『生ダラ』スタート以降の日本テレビでは『鉄腕!DASH!!』(1995年 - )がある。ちなみにこの『鉄腕!DASH!!』には福澤も出演していた)。1998年、平日朝の『ズームイン!!朝!』に専念するために番組を降板した進行役の福澤朗の勇退の際に、「さようなら福澤アナ」企画と題し総集編として約2年ぶりにスタジオから放送した。それ以降においてもロケ企画以外の内容や生放送が時々行われており、一例として2000年5月3日の生放送では、その日行われた巨人戦の模様を定岡正二解説させるという企画などが行われていた[1]。とんねるずらは、特番の『スーパークイズスペシャル』には1回も出場していない(ただし、1993年秋から1994年秋まで敗者復活戦の出題VTRに登場していた)。

2001年3月14日の2時間スペシャルをもって番組は終了。9年半の放送に幕を降ろした。

番組終了以降、日本テレビ系列におけるとんねるず名義の番組は本番組が最後となっている。


注釈

  1. ^ しゃべり言葉をテロップ表示する手法はABCテレビ探偵!ナイトスクープ』が発祥であるが、同番組の場合ナレーションの代用という意味も込められているためテロップの使用はVTR部分に限られており、スタジオパートでは一切使用されていない。スタジオパートにおいても字幕を使用したのは「生ダラ」が先駆けである。
  2. ^ 番組開始前、一部地方紙に掲載された日本テレビ系列局の新番組広告では『とんねるずの言ったもん勝ち』と決定稿のように発表された例もあった。。
  3. ^ 「好きな女優さんは誰か?」「シャンプーは何を使っているのか?」など。
  4. ^ 放送当時はオウム真理教及び麻原による数多くの凶悪事件は明るみに出ておらず、単に「風変わりな集団」という色物的印象で見られていた。
  5. ^ ちなみに近藤真彦は国際A級ライセンスを、三原じゅん子は国際B級ライセンスをそれぞれ所持している。
  6. ^ 番組内での輪島の発言テロップは、すべて勘亭流書体の疑問形になっていた。
  7. ^ 進行役の福澤朗アナが輪島に対し、「輪島さん、好きな食べ物をカメラ目線で。3、2、1、キュー」 「輪島さん、好きな女性のタイプをカメラ目線で。3、2、1、キュー」などと矢継ぎ早に質問し、考える時間を与えずに応答させるというのが「お約束」であった。
  8. ^ トリノFCのもじり[要出典]
  9. ^ 関連項目:マシュマロ実験
  10. ^ 本企画が対決形式となる前に、「エアロ奈美恵」として単独チームでエアロビクスに挑戦していた。
  11. ^ 2曲が追加でリミックスされていることは、本番まで隠されていた。藤井恒久がチーム肉ダンゴの練習風景を取材しようとすると、角田が藤井を脅かして追い返すのがお決まりの展開であった。
  12. ^ 当時、生ダラのスポンサーについていた引越し業者が搬入した。
  13. ^ 日本国外版では削除されている。憲麻呂が倒された際の「いつもこうだよ!!」の決めゼリフは闘牛対決の企画での福澤の発言から引用されていた。
  14. ^ 実際には一枚以上を残していたステーキを手で丸めて強引に咥えただけという状態であった。判断は店サイドに委ねられ、関口は完食という事でなんとか賞金を獲得できた。
  15. ^ それ以前は不定期放送であったが、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」の諸事情による打ち切りによりつなぎ番組として火曜 17:00 - 17:55に遅れネット開始、1993年10月に大分朝日放送開局により9月まで同時ネットしていたテレビ朝日系列の水曜21時刑事ドラマが移行したため同時ネット開始。

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