あすなろ杯争奪リーグ戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/07 16:35 UTC 版)
またこの記事では、前身の「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」「ジャイアント馬場杯争奪リーグ戦」「HOLD OUT CUP」についても記述する。
概要
全日本プロレスの若手の登竜門となるシングルリーグ戦。すべての試合はPWFルールにより行われる[1]。
- 総当たりのリーグ戦で各30分1本勝負
- 勝ち2点、時間切れ引き分け1点、負け・両者反則・両者リングアウト・無効試合は0点
- リーグ戦の得点上位2名が優勝戦に進出
第4回大会(2000年)はリーグ戦ではなくワンデイ・トーナメントとして行われた。
第1回大会(1989年)
- 参加6名
- 大会内容
- 高野が順当に勝ち点を伸ばし優勝に王手をかけるが、最後の公式戦で小橋にリングアウト負けを喫し川田・冬木に並ばれる。優勝戦は巴戦で行われ、まず冬木が高野を下し先に王手をかけるが、翌日の2戦目で川田が冬木を丸め込みリーグ戦の雪辱を果たすと、川田は翌日の3戦目でも高野をムーンサルトアタックで下し優勝を決めた。
第2回大会(1994年)
- 参加7名
- 大会内容
- 5年ぶりに開催された第2回は、本命と目された「超新星」秋山が期待通り全勝でリーグ戦をトップ通過、2位争いは同期の大森が混戦を抜け出し優勝戦進出。優勝戦は大森が奮戦するも秋山が初披露のエクスプロイダーから北斗原爆固めを決め文句なしの優勝、チャンピオン・カーニバルへの出場権を獲得した。
第3回大会(1996年)
- 参加7名
- 本田多聞 10点 ※優勝
- 大森隆男 10点 ※準優勝
- 泉田竜角 8点
- 浅子覚 6点
- 井上雅央 6点
- 志賀賢太郎 2点
- マウナケア・モスマン 0点
- 大会内容
- 5人による混戦を抜け出した大森と本田が優勝戦に進出。優勝戦は本田がダイビング・ヘッドバットを決めて優勝、大森はまたも優勝戦で涙を呑んだ。
第4回大会(2000年)
- 参加4名
- ルール
- この年はワンデイ・トーナメントで行われた。
- 大会内容
- 1回戦で森嶋を丸め込んだ丸藤と橋を下した金丸が優勝戦に進出。優勝戦は金丸が先輩の貫禄を見せムーンサルトプレスで快勝し優勝した。
第5回大会(2020年)
- 参加4名
- 田村男児 6点 ※優勝
- 大森北斗 4点 ※準優勝
- ライジングHAYATO(愛媛プロレス) 2点
- 青柳亮生 0点
- ルール
- リーグ戦は20分1本勝負に短縮。優勝戦は開催されず、リーグ戦の勝ち点のみで優勝が決まった。
- 大会内容
- 2020年3月に20年ぶりに開催されることが発表される[2]も、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、開催は7月まで延期された。2戦2勝同士の大森と田村が最終戦で対戦し、田村が勝って優勝し「エボリューション」入りを表明した。
ルー・テーズ杯争奪リーグ戦
1983年に若手選手によるリーグ戦「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」が開催された。当リーグ開催の2年前に国際プロレスが主催し、団体崩壊のため決勝大会が中止になった同名の大会とは一切無関係。
- 参加8名
- 大会内容
- 4月22日の札幌中島体育センター大会でリーグ戦上位2名による決勝戦が行われ、越中詩郎が三沢光晴を下し優勝した。決勝戦のレフェリーをルー・テーズが務めた。優勝した越中には海外武者修行の権利が与えられたが、決勝戦が好勝負であったため当時の社長であるジャイアント馬場の計らいで、準優勝の三沢にも海外武者修行の権利が与えられた。なお、実の兄弟である百田義浩と百田光雄は対戦しなかった。
- ^ PWF rules - 全日本プロレス
- ^ 「第5回 あすなろ杯争奪リーグ戦」開催決定のお知らせ - 全日本プロレス 2020年2月26日
- 1 あすなろ杯争奪リーグ戦とは
- 2 あすなろ杯争奪リーグ戦の概要
- 3 ジャイアント馬場杯争奪リーグ戦
- 4 外部リンク
- あすなろ杯争奪リーグ戦のページへのリンク