NBAキャリアとは? わかりやすく解説

NBAキャリア (フィラデルフィア・76ers 1976-1987)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:52 UTC 版)

ジュリアス・アービング」の記事における「NBAキャリア (フィラデルフィア・76ers 1976-1987)」の解説

1975-76シーズン終了後、ついにABAはNBA吸収されるという形で消滅。ABAの多くチーム解散憂き目に遭う中、ニューヨーク・ネッツはABAで生き残った4つチーム1つとしてNBA加盟したが、彼らは320ドル加盟料を支払わされ、さらにネッツ本拠地共にするニューヨーク・ニックスにも480ドル支払い科されたため、一気財政難に陥いり、アービングを手放さざるをえなくなったアービング現金300ドルとの交換で、フィラデルフィア・76ersへと移籍した絶対的なエース失った上に財政難二重苦背負わされたネッツは、以後低迷脱却多く時間要する事になる。 アービングNBA入り76ers移籍大きな話題呼び人々の間ではNBAがABAを吸収したのはアービングただ一人欲しかったからだという噂が広まったほどだった。迎えたNBAでの1976‐77シーズンアービング環境の違うリーグチームへの適応優先させたプレイ徹したため、成績平均21.6得点8.5リバウンドプロ入り後最低の数字終わった。しかしこの年オールスターでは30得点12リバウンドをあげて見事にオールスターMVP獲得人々事前触れ込み決し誇大ではないことを納得したアービングに、ABA出身アービングと並ぶ名スモールフォワードジョージ・マクギニスガードワールド.B.フリーリーグでも屈指のタレントを誇る76ersはこのシーズン5032敗をあげ、プレーオフではボストン・セルティックスヒューストン・ロケッツ破りアービング加入1年目にして早くもNBAファイナル進出するファイナルではビル・ウォルトン擁するポートランド・トレイルブレイザーズ最初の2試合連勝するが、その後4連敗喫してしまい、NBA1年目にしての優勝はならなかった。シーズン悔し幕切れとなったが、より市場として発達しているNBAでのプレイアービング名声益々高めアービング自分の名前を冠したバスケットシューズモデル発売した初めてのバスケットボール選手となり、テレビコマーシャル映画にも出演するなど、商業的に成功収めた76ersにもアービング獲得効果ファイナル進出のみならず観客動員数増大という、球団にとっては特に喜ばしい形で表れた前年ホームアリーナ総観動員数509,699人だったが、このシーズンは632,949人と25%近く伸び見せている。76ersアービング中心チーム造るためにチーム再編始め、1977-78シーズン途中からビリー・カニンガムが新ヘッドコーチ抜擢され、翌1978-79シーズンには、ポジション重なジョージ・マクギニス放出この間チーム成績横ばい状態が続くが、チーム戦力着実に増していき、またアービングもNBA2年目の1977-78シーズンにはオールNBA1stチーム入り果たし名実共にリーグ最高峰選手としての地位固めた

※この「NBAキャリア (フィラデルフィア・76ers 1976-1987)」の解説は、「ジュリアス・アービング」の解説の一部です。
「NBAキャリア (フィラデルフィア・76ers 1976-1987)」を含む「ジュリアス・アービング」の記事については、「ジュリアス・アービング」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「NBAキャリア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「NBAキャリア」の関連用語

NBAキャリアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



NBAキャリアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジュリアス・アービング (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS