IV号駆逐戦車の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/17 17:20 UTC 版)
「IV号突撃砲」の記事における「IV号駆逐戦車の開発」の解説
1943年8月19-20日の会議で前月のクルスクの戦いの報告を読んだヒトラー総統は、突撃砲は敵戦車に包囲されない限り、当時の主力戦車であったIV号戦車よりも優れた戦闘力を持つと確信した。彼はIV号戦車駆逐車(Panzerjäger IV)の開発を命じ、同年10月20日にフォーマーク社の試作車が完成した。これはIV号戦車の車体に戦闘室を設け、この内部にパンター戦車の7.5cm L/70砲を搭載するものであった。しかし長砲身(70口径)の7.5cm L/70砲はパンターの主砲として利用されていたため、試作車(O型)はIV号戦車と同じ砲身長(48口径)の7.5cm L/48砲を搭載していた。 ヒトラーはIV号戦車の生産を戦車駆逐車に切り替えることを計画、名前もIV号駆逐戦車(Jagdpanzer IV)に変更した。1943年11月、III号突撃砲を生産していたアルケット社の工場が爆撃され、生産がほぼ中断された。10月のアルケット社の生産量は255輌、12月には24輌に低下、計画中のIV号駆逐戦車の大量生産にはまだ数ヶ月を要し、すぐにIII号突撃砲の代わりが必要であった。
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