GS蓄電池の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 01:02 UTC 版)
「島津源蔵 (2代目)」の記事における「GS蓄電池の開発」の解説
一方、源蔵は1897年に京都帝国大学理工科大学から注文を受けて鉛蓄電池を作製し、これは後に改良され「GS蓄電池」(GSはGenzo Shimazu=島津源蔵の頭文字から)となった。この蓄電池は日露戦争で徴発されて軍艦和泉でも使用され、1905年5月27日の日本海海戦では信濃丸から「敵艦見ゆ」の第一報を受けて旗艦の三笠に送信する歴史的役割を支えた。 1909年に島津製作所は初の国産医療用X線装置を作製し、これは国府台陸軍衛生病院(現・国立国際医療センター国府台病院)に納品された。また、同年にはシアトルのアラスカ・ユーコン太平洋博覧会で人体模型が大賞を受賞している。 さらにX線講習会を1921年から20年間開催し、1927年には国内初のX線技師養成所を本社内に設けるなど、X線技術の普及に努めた。なお、この養成所は京都医療技術短期大学を経て京都医療科学大学となっている。
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