F9F パンサー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 09:01 UTC 版)
「F9F (航空機)」の記事における「F9F パンサー」の解説
グラマン社において、ジェット戦闘機の開発は1943年から開始されており、1946年4月には双発複座のG-75案がXF9F-1としてアメリカ海軍から発注されている。これは1946年12月に単発単座のG-79案に発展したため、XF9F-1はキャンセルとなり、G-79案をXF9F-2として開発が続行された。XF9F-2は3機が製作され、1947年11月21日に初飛行している。XF9F-2は量産化が決定され、F9F-2として1949年から配備が開始された。 パンサーは朝鮮戦争に投入されたが、直線翼で構成された機体デザインは、ジェット戦闘機としては明らかに古い設計思想に基づいたものであり、空力的な性能において同世代のライバル機より劣っていた。結果、戦闘機としてよりも、主に対地攻撃機の代用として運用される事となった。しかしながら、性能差を搭乗員の技量でカバーするなどしてMiG-15を含む多数の敵機を撃墜しており、朝鮮戦争を通じて戦闘で失われた64機のF9Fのうち、空中戦で撃墜されたものはたった1機のみであった。1950年11月9日には、米海軍のW.T.エイメン少佐がF9F-2でMiG-15を撃墜し、米海軍初のジェット機撃墜を成し遂げている。朝鮮戦争休戦後は、改良型のクーガーと交代する形で第一線を退き、主に無人標的機として使用された。 アルゼンチン海軍は、1957年に中古のF9F-2を24機、加えて1962年に新品のTF-9Jを2機購入し2個飛行隊を編成、南米の海軍で初めてのジェット機部隊となった。
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