CMモデルから女優へ
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このCMで各マスコミ媒体に登場する機会が増え、雑誌やテレビにも出演。当時、現役の国立大学法学部の学生という硬いイメージと宮崎の柔らかいイメージのギャップが、必ずといっていいほど記事に取り上げられ、その後1980年代以降の「才色兼備の女子大生タレント」というジャンルを定着させた。 もともとジャーナリストを志望していたが、1980年4月、地元熊本放送の番組レポーターになる。 5月にはTBSから熊本放送の制作部長を通じて『ポーラテレビ小説』の主演女優の依頼があるが、断り続けていた。6月になると、番組担当のTBSのプロデューサーとディレクターが熊本の実家まで何度も来て、出演説得を続けた。その結果、後にポーラテレビ小説『元気です!』(1980年10月 - 1981年3月)で主演を務め、女優デビューを果たす。ただ、東京の大学生のように、撮影の合間に頻繁に通学できる環境ではなく、ドラマ出演と熊本での大学生活を両立させるのは困難であった。その結果、必須科目等の単位不足で、翌春に控えた大学卒業が不可能となることにも繋がった。 『元気です!』のクランクアップ後はすぐに『2年B組仙八先生』(1981年4月 - 1982年3月、本来9月までの半年放送予定だったが、途中で1年に放送期間を延長)の出演も果たした。それらの撮影中も週に1時限のゼミに出席するため、毎週 東京-熊本間を飛行機で往復し、入学から5年かけて1982年3月に大学を卒業した。その後、女優としての才能が開花し、順調にテレビ、映画、舞台とその活躍の幅を広げていった。 2021年3月29日からはフジテレビ系列の『めざまし8』で初の情報番組レギュラー出演をすることとなった。番組では宮崎独自のコーナー「女優がゆく」もあり、様々な取材や体験などを担当。なお2022年3月23日日を以って卒業した。
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