2007年中の事件の経過
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「オペラシオン・プエルト」の記事における「2007年中の事件の経過」の解説
このまま事件はうやむやのうちに収束するかと思われた2007年4月、ボンの検察が「フエンテスの事務所から発見された血液はDNA検査の結果ウルリッヒのものであることが確認された」と発表。これに対しウルリッヒの弁護士は「検査結果は捏造されたものである」との声明を発表して徹底的に争う姿勢を示した(後に2012年になってウルリッヒはフエンテスとの関係を認めている)。 一方でスペイン当局はオペラシオン・プエルトで捜査対象となった行為がスペイン国内の反ドーピング法施行以前のものであったことから、立件を断念すると表明。 これに対しツール・ド・フランスを主催するASOのクリスティアン・プリュドムはウルリッヒの件を受けて4月21日、7月7日のツール・ド・フランス開幕までにDNA検査で無実を証明しなかった選手は、ツール・ド・フランスには参加させないと宣言した。続いてイタリア検察もスペイン当局からイヴァン・バッソのものとされた血液バッグを引き取り、イタリアのオリンピック委員会とともにバッソのDNA検査を行うと発表。 この発表を受けたバッソは遂に5月7日に自らドーピングに関与したことを認め、調査に全面的に協力することを表明。バッソは2年間の出場停止処分となった。こうしてチャンピオン級の選手であるバッソが関与を認め、更には関与していた組織があることを暗に認めたことで事件は新たな局面を迎えた。6月19日にUCIはUCIプロチーム所属の選手に対し「ドーピングが発覚した場合は2年間の出場停止処分と2007年の収入分の罰金を受け入れる」「オペラシオン・プエルトの捜査の為に自分のDNA情報をいつでも提供する」「その他UCIの指示に全て従う」という誓約書を要求し、これに署名しない場合はツール・ド・フランスへの出場を認めないと発表した。
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