1941年以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 20:33 UTC 版)
アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参入したのと同じ年にミシガン州の経済不況も終わった。戦時には武器や軍用車両の大量生産が必要となり、大量の新しい仕事が生まれた。戦後自動車産業とと銅鉱業はどちらも復活した。 このころから1980年代まで、大量のアフリカ系アメリカ人がミシガン州とりわけデトロイトに移住した。新しく活気のある都市文化が創られ、特にモータウン・レコードの創出と任期は顕著だった。この時期には人種問題も大きくなり、1967年には12番街の暴動が起こって8日間も険悪な状態が続き、損失額2500万ドル、死者43人を出した。 1973年の石油危機はアメリカ国内に経済不況を生み、ミシガン州の経済に大きく影響した。その後合衆国の自動車会社は大きな多国間競争、特に日本との競争に直面した。その結果、国内の自動車メーカーは国内外で競争に生き残るために費用削減を実施した。失業率が州内で劇的に上昇した。 1970年代を通じて、ミシガン州は合衆国の中でも高い失業率を続けた。増え続ける州予算の赤字を減らすために、教育や公的健康管理予算の削減が繰り返し行われた。1980年代には自動車産業の強化と税収入の増加で政府とその財政は安定した。それでも、日本や韓国の自動車会社との競争は激化して、自動車産業への依存度の高いミシガン州経済を直撃し続けた。1980年代後半以降、ミシガン州政府は活発に新しい産業の導入を続け、単一産業への依存体質を変えようとしている。
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