1941年(昭和16年)成立の日蓮宗
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「日蓮宗」の記事における「1941年(昭和16年)成立の日蓮宗」の解説
1939年(昭和14年)4月、宗教団体を戦争協力させることを目的として制定された「宗教団体法」 は、"統合運動"の様相を一変させることとなる。 この法律は仏教・神道・キリスト教の各宗教に対し、教団を国家権力下に管理するため宗派合同を求めるものであり、そして1940年(昭和15年)9月、同法第5条 を根拠として、政府は神道・仏教・キリスト教の各宗教界代表を招集。1941年(昭和16年)3月末日までに各宗派の自主的合同を終えるよう通達した。 この通達を受け、1940年(昭和15年)12月、本門法華宗・法華宗・日蓮宗・本妙法華宗・顕本法華宗・本門宗・不受不施派・講門派 の日蓮門下八派が出席する門下合同準備会の第一回委員会 (委員長は日蓮宗の柴田一能) が開かれる。委員会は合同に賛成し、宗名・教義・本尊は特別委員会で決めることとなった。その後、3カ月間で、教義や管長推戴について比較的似通った主張をする宗派で合同する方向にまとまる。特別委員の苅谷日任が本迹問題から合同に反対したこともあって八派全ての合同はならず、1941年(昭和16年)3月、日蓮宗第37宗会は、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗が各教団解散の上で対等合併する三派合同を承認し、宗名を日蓮宗とすることが決められた。
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