18世紀から19世紀まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:16 UTC 版)
「アゼルバイジャンの歴史」の記事における「18世紀から19世紀まで」の解説
18世紀にロシアがカスピ海方面への侵攻を強めるようになり、19世紀に入るとイランと本格的な紛争が始まる。1813年のゴレスターン条約、1828年のトルコマンチャーイ条約によりアゼルバイジャン北部がロシアへ併合され、ロシア領アゼルバイジャン、イラン領アゼルバイジャンの南北に二分された地域となった。ティフリスに置かれたカフカース総督府は当地に対し植民地政策を断行し、住民を抑圧した。1870年、農奴解放が行われると資本主義的な発展を見せ、鉄道、石油産業を機軸として産業化が進行した。特に、アプシェロン半島のバクーは1901年には全世界の産油量の1/2以上を算出する国際的な町として知名度を高めた。民族的なイデオロギーが高まる中で石油労働者を中心とした労働運動が始まると、1900年の経済恐慌を機に、労資の緊張が深まった。
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