野球界の永久欠番
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野球界の永久欠番(やきゅうかいのえいきゅうけつばん)では、原則としてほとんどプロ野球の元名選手等の関係者に対して永く称えるために適用される今の選手には与させないその欠番について述べる。
注釈
- ^ 引退の際、 "Today, I consider myself the luckiest man on the face of the Earth."(「今日の私は自分を地球上で最も恵まれた男だと思っています」)と名言を残している
- ^ 一例としてベーブ・ルースの「3」が永久欠番に指定されたのは1934年のヤンキース退団から14年後の1948年6月であり、その間に合計7人の選手が背番号「3」のユニフォームを着用している。
- ^ ジャッキー・ロビンソンがメジャーリーグ最初の黒人選手であると誤解されがちだが、実際にはアフリカ系アメリカ人のモーゼス・フリート・ウォーカーが1884年にトレド・ブルーストッキングスでプレーしているのでこちらが確認できる最初の黒人選手である。
- ^ “メジャー最後はリベラ 各球団最後の背番号「42」は誰?”. MLB.JP. 2023年2月10日閲覧。
- ^ リベラの背番号としての「42」もヤンキースから永久欠番に指定されたため、ヤンキースの「42」はロビンソンとリベラの両名を称える永久欠番になった。なお、カージナルスも2006年に「42」で顕彰する対象にブルース・スーターを追加している。
- ^ 例えば読売ジャイアンツでプレーしたこともあるジェフ・マントはトロント・ブルージェイズ傘下AAA級チームであるバッファロー・バイソンズにおいて優れたリーダーシップによって優勝に貢献したとして、彼が着用していた「30」が永久欠番に指定されている[1]。
- ^ 第1期監督時代は90を使用。第2期監督時代も、1993年から1999年までは33を着用。その後、2000年シーズンよりFAで江藤智が加入したため33番は江藤に譲られ、長嶋は3番を着用することとなった。
- ^ ただし、永久欠番指定前の1946年には今泉勝義と坂本茂も使用していた。
- ^ 1965年からは77を着用。現役時代についても、1946年の一時期は水野忠彦が着用していた。
- ^ MLBではヤンキースの4が同様にルー・ゲーリッグのみの番号となっている他、NPBでは大沢啓二が日本ハムファイターズの監督に就任した際に球団史上初めて86を着用し、退団後より準永久欠番扱いされているという事例がある。
- ^ 第1期監督時代は選手兼任だったため、背番号はそのまま11。背番号11にまつわるエピソードも参照。
- ^ 第1期監督時代は1を、第2期監督時代は81を、第3期監督時代は83を着用。永久欠番に制定されている球団の監督を務めながら、その番号を使用しなかったという珍しいケースである。
- ^ 1967年には68を着用。また、現役時代のうち1938年 - 1946年は17を着用。
- ^ 1974年までは28を着用。
- ^ 第1期監督時代は88を着用。なお、現役時代では1970年まで27を着用しており、8番は翌1971年からである。
- ^ 1973年 - 1974年には81を着用。
- ^ 稲尾の退団から欠番指定までに24を着用したのは古賀正明、トニー・ミューサー、小川史、秋山幸二、ジョージ・ブコビッチ、平野謙、小野和義、金村義明、眞山龍、松永浩典、ライアン・マルハーンの11人。
- ^ それ以前、日本ハムファイターズ時代の1993年から2005年までは、マスコットの「ファイティー」が付けていた。
- ^ 前身の東映フライヤーズ時代には、1962年に初優勝した時、当時のオーナー・大川博が「100」の背番号を付けたユニフォームを着用し、パレードなどに参加したことがあった。なお、東映製作による記録映画として『東映優勝 背番号100』が同年制作・公開されている。
- ^ 球団や球界に対する功績を残した特定人物を称える意味ではなく、不特定のファンのための番号を「永久欠番」と称したのは当時日本プロ野球界では初の試みであった。球団創設の年に制定されたため、チーム発足以来背番号「10」を使用した選手・監督・コーチは一人もいない。なお、マスコットの「クラッチ」がイーグルス・ファンの1人として背番号10を着用している。
- ^ ちなみに日本のサッカークラブにおいては同様の発想で、スターティングメンバーの11人に続く12人目のメンバーという意味で「12」をサポーターのための番号として欠番としているチームが多い。永久欠番#サッカー界の永久欠番を参照。
- ^ 当初は「東京六大学野球での主将の番号だった」という理由から西谷尚徳の背番号に内定していたが、「ファンのための欠番」となったことで、入団発表直前に6へと変更された( 広野功『広野功の楽天誕生秘話』。日刊ゲンダイ、2013年11月19日号、33面)。
- ^ 川上哲治の「16」、長嶋茂雄の「3」、村山実の「11」、山本浩二の「8」など、現役引退後に本人が監督・コーチなどとして再び着用した例は上記のように複数あり、特に王貞治の「1」は巨人時代に選手・監督を通して一貫して着用していたが、「監督」としてのみ着用した背番号が永久欠番になった例はこれが初となる(現役時代の星野は中日で「22」と「20」を着用)。なお、中日と阪神で監督を務めたときにも星野は同様に背番号「77」を着用しているが、両球団では永久欠番には指定されていない。
- ^ 1993年から1995年まで近鉄の監督を務めた時の背番号は70であった。球団は1を着用させる意向を示していたが、本人が辞退して空き番から選んだ。
- ^ 結果的に背番号は00に決定した。その後移籍したオリックスでは52を着用した。
- ^ 1989年の若松勉の現役引退に際し、原則として「球団生え抜き、かつそれに見合う実績を挙げた選手」が「ミスタースワローズ」の称号とともに継承する番号とした。その後は池山隆寛(1992 - 99)、岩村明憲(2001 - 06)、青木宣親(2010 - 11)、山田哲人(2016 - )と引き継がれている。なお、2014年オフに大引啓次がフリーエージェントで移籍加入した際には、契約時に球団から誠意として提示されたが、前述の経緯を尊重して本人が辞退し、2を選択した。
- ^ 金本の固辞の他にも、本拠地球場である阪神甲子園球場内にある甲子園歴史館では6番が「栄光の背番号」として紹介されており、金本以前にも景浦將、藤田平、和田豊など歴代の名選手が代々背負ってきた番号である事から、球団内外でも6を金本「のみ」の番号にする事に対しては異論が多かった。
- ^ 特に、ヤクルト・巨人で主軸打者として実績のあった広澤克実は、球団から「掛布のイメージを払拭して欲しい」という要望を受けてこの番号を着用している。
- ^ 後年の文献・資料では「永久欠番」と記述している物も見受けられるが(ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球データファイル』等)、引退表明を1面で大きく扱ったサンケイスポーツ(東京版・1983年11月10日付)の記事では「保留欠番」と記述されているため、本項もそれに従う。
- ^ 国鉄時代の根来広光以後、加藤俊夫、大矢明彦、古田と歴代の正捕手が継承してきたが、1989年のみ例外的に投手のロン・デービスが着用した。
- ^ 使用したのは進藤達哉、日高剛、水口栄二、濱中治、赤田将吾、糸井嘉男、吉田正尚、西川龍馬の8人。このうち、オリックス生え抜き選手は日高と吉田の二人のみだった。
- ^ 当時の西日本スポーツ(1968年1月21日)は、「広野の背番号は大型打者にふさわしく、大下弘選手(現東映監督)が(昭和)36年に引退してから、長い間欠番になっていた『3』に決まった」と報じている。
- ^ 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が、背番号に「0」「00」の使用を認めていないことと、日本ハム本社が同リーグ参加チームのセレッソ大阪(設立母体はヤンマーディーゼル)のグループオーナー企業のひとつであり、北海道日本ハムファイターズの運営会社ともフロントの人的交流があることも関係があると推定される。
出典
- ^ 大リーグ永久欠番物語 p69
- ^ プロ野球背番号を楽しむ小事典 p16
- ^ “広島が黒田背番号「15」半永久欠番に”. 日刊スポーツ. (2007年12月1日) 2012年7月13日閲覧。
- ^ “楽天が星野仙一氏の背番号「77」の永久欠番発表”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2018年3月26日) 2022年7月2日閲覧。
- ^ サポーター背番号変更のお知らせ - オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2024年2月5日)2024年2月5日閲覧。
- ^ 『ベースボールマガジン』1993年夏「背番号は生きている」 、ベースボール・マガジン社、1993年。
- ^ 背番号にまつわるエトセトラ『週刊ベースボール』2012年2月27日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/26, 31頁。
- ^ 西武が森慎二の「89」を準永久欠番に!!6月多臓器不全で急死「功労者。当分はそういう流れになる」
- ^ 金本「6」永久欠番見送り…「誰が付けてもいい」本人の意向尊重 Sponichi Annex 2012年10月29日
- ^ 阪神 金本前監督の背番号6来季欠番に 球団幹部「ふさわしい選手が出てくるまで」 Sponichi Annex 2018年11月13日
- ^ オリックス、イチローの「51」は事実上の永久欠番 日刊スポーツ 2019年3月22日
- ^ “ハム、大谷「11」は“半永久欠番” 次のスター登場まで空き番号”. スポーツニッポン. (2018年1月17日) 2018年3月21日閲覧。
- ^ “エースの象徴がたった1年で…ダル父 ハムの背番号“管理”疑問”. スポーツニッポン. (2012年12月10日) 2018年3月21日閲覧。
- ^ a b 西日本スポーツ2005年1月30日付、スポーツ報知2005年1月30日付
- ^ a b プロ野球 永久欠番のタブー真相
- ^ “【ロッテ】福浦が今季限りで引退…背番号9は“準永久欠番”に”. スポーツ報知 (2019年1月24日). 2023年12月14日閲覧。
- ^ 26番目の戦士たち | 千葉ロッテマリーンズ
- ^ 鳥谷級スター現れるまで…阪神、背番「1」準永久欠番に 16年間「球団の顔」に敬意 スポーツニッポン、2019年10月15日(2023年1月30日閲覧)。
- ^ 【阪神】背番「31」15年ぶり欠番! 掛布DC自ら「2世」育てる - スポーツ報知、2013年11月11日付
- ^ 阪神の新外国人マルテに掛布氏背番号「31」で賛否
- ^ スポーツニッポン2009年12月11日付
- ^ 背番号は赤星氏の53 建山「お断りしたいと伝えたんですが…」 スポーツニッポン 2014年6月26日
- ^ 岩瀬の背番号「13」準永久欠番に ふさわしい後継者出るまで 中日スポーツ、2018年11月28日(2019年3月23日閲覧)。
- ^ 広島鈴木誠也が背番1へ、前田智徳氏の引退後空き番
- ^ 三浦の背番号18は半永久欠番「横浜ナンバー」に スポーツニッポン 2016年9月21日
- ^ “DeNA、筒香の背番号「25」を準永久欠番扱いに”. サンケイスポーツ (2020年1月9日). 2023年12月4日閲覧。
- ^ ソフトB城島と決別!背番号「2」を解禁
- ^ 西日本スポーツ(野口正明『大下君ご苦労さん』)・西日本新聞・読売新聞。1960年3月2日。
- ^ ノムさん背番「19」楽天の永久欠番に
- ^ 楽天ドラ1・藤平に栄光の背番「19」決定でボヤキ炸裂
- ^ 【ソフトB】新助っ人スアレス、球団初あぶさんの「90」背負う! - スポーツ報知、2015年11月4日。
- ^ ソフトバンク、来日2年目ミランダと4年目スアレスが退団へ 今季はともに精彩を欠く内容 - ベースボールチャンネル
- ^ 新入団コーチのお知らせ | 福岡ソフトバンクホークス
- ^ ハム、「0」「00」に違和感で永久欠番 - 日刊スポーツ、2008年12月29日。
- ^ 梶田主将「幸せな10年間」 - 読売新聞高知版2014年9月14日
- ^ FD・梶田宙選手の引退式にファン続々 - 高知新聞2014年9月14日
- ^ 10年目梶田が今季で引退 - 高知新聞2014年9月7日
- ^ 愛媛マンダリンパイレーツ球団初! 弓岡監督の背番号「77」を永久欠番に!!【チームからのお知らせ】 - 愛媛マンダリンパイレーツ(2016年11月21日)
- ^ 監督・コーチ・新入団選手の背番号決定 及び 一部選手の背番号変更のお知らせ【チームからのお知らせ】 - 愛媛マンダリンパイレーツ(2022年1月27日)2022年1月28日閲覧。
- ^ MIKITO AED PROJECT - ベースボール・チャレンジ・リーグ
- ^ 杉山正己「野球少年のハートを守る」『練馬の印刷 (PDF) 』2008年1月号、東京都印刷工業組合練馬支部、p.12(記事中に掲載されている新聞記事に「地元のリーグチームも背番号「10」を永久欠番とし」とある)
- ^ “「ミキトAEDプロジェクト」協賛で公式戦 アルビBC、悲劇を繰り返さぬために”. 上越タイムス. (2017年7月22日) 2017年10月13日閲覧。
- ^ “【2015年新入団監督・ヘッドコーチ・新入団選手背番号及び既存選手背番号変更】”. 石川ミリオンスターズ (2015年2月9日). 2017年10月13日閲覧。
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- ^ 出場選手登録 (PDF) - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2015年4月13日)
- ^ 【NOL】2022シーズン開幕ロースター (PDF) - 日本海オセアンリーグ(2022年4月1日)2022年4月2日閲覧。
- ^ 松尾健一 - 千葉スカイセイラーズ
- ^ 高木 海:外野手 10 - 石川ミリオンスターズ
- ^ a b 2017年9月2日 - 石川ミリオンスターズ公式twitter
- ^ a b c d e 永久欠番について - 兵庫ブルーサンダーズ(2016年12月28日)
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- ^ “創価大・田中正義、あるぞ史上初の12球団競合”. ニッカンスポーツ. (2015年12月31日) 2016年10月22日閲覧。
- ^ “田中正義が背負う特別な背番号「15」”. デイリースポーツ. (2016年1月9日) 2016年10月22日閲覧。
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