鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任の意味・解説 

鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 17:15 UTC 版)

南海蔭山新監督急死騒動」の記事における「鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任」の解説

南海ホークス監督鶴岡一人監督就任20年目の1965年2リーグ制後8度目のパ・リーグ優勝決めたが、読売ジャイアンツとの対戦となった日本シリーズは1勝4敗で敗れたシリーズ閉幕の翌11月6日鶴岡大阪市難波にある旅館「新常盤」で午後5時から記者会見行い、「南海退団したい。明日7日)に壷田修オーナー辞表提出する」と発表した鶴岡会見で、日本シリーズでの敗退監督辞任する理由ではなく、「春季キャンプの時から監督生20年目となるこの年最後に辞任することを決意していた」と述べた鶴岡会見での言葉通り11月7日午前8時に泉北郡高石町現・高石市)にある壷田の自宅訪れ辞表提出したその際球団社長新山滋同席し鶴岡は壷田と新山から監督辞意思いとどまるよう説得されたが、鶴岡意思固く退団決定的となった鶴岡記者会見が行われた6日ヘッドコーチ蔭山和夫球団社長新山辞表提出していた。蔭山は翌7日高石町にある自宅報道陣招いて現在の心境語った際にこのことを明らかにし、「日本シリーズ敗れた原因となった打撃守備担当者としてその責任感じる」と退団決した理由述べた。蔭山はチーム低迷していた1962年鶴岡が「指揮官悪ければ部下全滅すると言って休養した際に監督代行務め最終的にチーム2位まで引き上げた実績があり、鶴岡後任として最有力候補だった。その蔭山が辞表提出したことで、南海ホークスは大揺れとなった11月8日南海ホークス大阪市内役員会開き鶴岡辞任認めとともに、蔭山の監督昇格決定。これにより鶴岡退団正式に決定した鶴岡は翌9日同日大阪球場開催され選手集会顔を出し退団挨拶をした。 一方南海球団社長新山8日役員会終了後すぐに鶴岡自宅訪ねて辞任了承したことを伝えとともに、蔭山の監督就任説得するための協力依頼鶴岡も「出来るだけ協力する」と了承した新山その足で蔭山の自宅訪ねて退団撤回し監督就任するよう要請した。蔭山は依然として辞意が固かったものの、9日までに返答する答えた。蔭山は翌9日大阪市内鶴岡自宅訪問して球団からの監督就任要請について相談。蔭山は鶴岡から監督就任説得された末に態度軟化させ、球団事務所新山の元を訪れて条件をのんでくれれば監督引き受ける」と回答した11月11日午前新山は蔭山を大阪市内球団事務所招き、蔭山が9日提示した条件了承する伝えた。しかし蔭山は「口約束だけでは不安だ」と述べて条件文書化させてほしいと要望した。11月13日午前10時から南海電鉄本社内で壷田、新山、蔭山、鶴岡の4名が話し合った結果球団は蔭山の要望全面的に認めた。そして同日午後1時45分から新山本社内で記者会見開き、蔭山の南海ホークス監督就任正式に発表した

※この「鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任」の解説は、「南海蔭山新監督急死騒動」の解説の一部です。
「鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任」を含む「南海蔭山新監督急死騒動」の記事については、「南海蔭山新監督急死騒動」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鶴岡監督の退団、蔭山の新監督就任のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの南海蔭山新監督急死騒動 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS