馬産業への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 13:40 UTC 版)
岩山敬義によって創設された駒場農学校(後の東京大学農学部)で獣医学を学び、ヨーロッパの畜産業の視察のため藤波言忠子爵に随行した。この間、ドイツ語が堪能であったことから渡欧中だった伊藤博文一行と会い、通訳や翻訳の仕事にあたり、明治憲法制定に一役買ったとされる。 帰国後は各地の宮内省管轄の御料牧場の場長を歴任し、小岩井農場をはじめ多くの民間の牧場の顧問を務めた。5回に渡りヨーロッパ、オーストラリア、アメリカに出張して優秀な種馬の選定と購入を行い、実務家として日本の馬の品種改良に貢献した。 新山は白髭白髪の威厳ある外見であったと評されるが、本人によれば、6回の渡欧(当時は船)の際、インド洋の波浪による心労のため白髪になったと述懐している。 1884年(明治17年)の畜産諮詢委員に任命されて以降、馬政調査会委員、臨時馬政調査委員、馬政官を歴任し、監督官の立場からも日本の馬産業の発展に貢献した。 1898年(明治31年)に人工授精をはじめて試みた人物でもある。
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