香川県成立とは? わかりやすく解説

香川県成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)

高松市の歴史」の記事における「香川県成立」の解説

1871年12月26日明治4年11月15日)、廃藩置県により香川県成立し高松はその県庁所在地になったが、2年後1873年明治6年2月20日には名東県現在の徳島県)に吸収合併され香川県と共に高松県庁所在地としての地位消滅した。更に2年後1875年明治8年9月5日には再び香川県独立し高松は再び県庁所在地になったが翌1876年明治9年8月21日には再度今度愛媛県吸収合併された。しかし、それも風土文化の違いから分離独立運動激しく起こった長続きせず、1888年明治21年12月3日には現在の香川県成立した17年の間に4度合併と分離繰り返した挙句全国最後に成立したとなった。このことを揶揄した名東夫婦別れて愛媛身売り香川は再び里帰り」という俗語生まれた。 この県の存在を巡る混乱県庁所在地高松にとって、その後発展に非常に大きな影響与えることになる。そもそも江戸時代、藩の所在地では武士などの富裕層がその街の経済における潤沢な消費者であったその後版籍奉還とともに武士などの富裕層はその多く没落して以後は彼らに代わって軍人官吏などがその役目を負うことになる。全国県庁所在地多く旧藩所在地であったため、この頃になると既に他の県庁所在地軍人官吏などの富裕層多く育ち武士に代わって引き続き街の経済繁栄させていた。しかし、同時期の高松県庁存在さえもいつまた消滅するかもわからない不安定なものであったほか、軍隊丸亀設置歩兵第12連隊)されたために街の消費支え富裕層決定的に不足していた。県を巡る大混乱17年間も続いた香川県結果的に他県比べてその県庁所在地発展大きく出遅れることになる。 しかし、その後宇高連絡船就航四国玄関として発展したり、戦後その影響四国地方統括する企業物流中心都市としての地位確立し、さらに国の出先機関のほとんどが置かれるなど四国行政都市としても発展することになる(→行政都市の確立)。

※この「香川県成立」の解説は、「高松市の歴史」の解説の一部です。
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