餅などの献上、納入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:26 UTC 版)
江戸時代、宮中の年中行事に際して川端道喜は「御定式」と呼ばれた定められた様式の餅、ちまき等を納入した。なお川端道喜には文化文政期以降のものと推定される「御定式御用品雛型」という絵入りのマニュアルが遺っている。 正月一日のお供えは、川端道喜からの献上品とされて代金は支払われなかった。非常に複雑かつ大規模なものであるため、川端道喜から完成品を搬送することは不可能で、大みそかに皇居内の現場で飾り付けを行わねばならなかった。 正月二日の飾りは「御買始め」と呼ばれ、1月2日以降は代金が支払われるようになった。正月二日の飾りの中には「菱葩」があった。「菱葩」は飾り付けの役目を終えた後、味噌を塗って宮中の正月を祝う宴に供されたり、天皇から臣下への正月祝いの品ともされた。後述のようにこの「菱葩」から、裏千家等の初釜で使用される菱葩餅が考案されることになる。 正月以降も3月3日の節句には菱餅など、5月5日の端午の節句はちまきなど、そして七月のお盆には蒸したもち米を蓮の葉に包んだ蓮飯、8月1日の八朔には藤の花と呼ばれる餅菓子、十月の亥の日には玄猪の餅というように、年中行事に合わせて「御定式」の品々を納入していた。 そして前述のように「御朝物」も江戸時代を通じて、毎朝の献上が続けられていた。また川端道喜の御用には、内侍所への神供があった。川端道喜は正月の餅等の献上に対して、下行米と呼ばれる米を下賜されていた。この下行米は前年の新嘗祭に際して天皇が神前に供えた御洗米を、内侍所で渡される習わしであった。
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