青木一重とは? わかりやすく解説

青木一重


青木一重(あおき かずしげ) 1551~1627

忠助 所右衛門 重通 民部少輔
◇父:青木重直 弟:青木信重
 駿河・今川氏臣、後松平氏臣。姉川の合戦では越後朝倉氏下の猛将真柄直隆を討つ功をたてた。後に丹羽長秀仕え、長秀死後羽柴秀吉仕えた関ヶ原の合戦大坂方として七手組組頭となるが、冬の陣和睦後和睦使者として駿府に赴きそのまま抑留された。大坂落城後出家するが、後摂津麻田1万石を得た

青木一重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:23 UTC 版)

青木 一重(あおき かずしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名摂津国麻田藩初代藩主。は重通ともいう。通称は所右衛門尉、民部少輔。官位従五位下民部少輔


  1. ^ 小寺宮内右衛門。斎藤義龍の家臣。
  2. ^ 徳川家康の家臣。三方ヶ原の戦いで討死。
  3. ^ 羽柴秀吉の家臣。天正6年の播磨攻めで戦死。
  4. ^ a b 次郎右衛門。徳川家康の家臣。麻田藩2代藩主重兼の実父。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 堀田 1923, p. 522.
  6. ^ a b 大日本人名辞書刊行会 1926, p. 2.
  7. ^ なお、小牧・長久手の戦いの後、羽柴秀吉が一重を自らの家臣にしたいと家康に頼んだため、秀吉の家臣となり黄母衣衆となったとする書物もあるが、『寛政重修諸家譜』などには丹羽家仕官時代を挟むことが書かれている。
  8. ^ a b 桑田 1971, p. 76.
  9. ^ a b 高柳 1981, p. 3.
  10. ^ 速水守久伊東長実ら1万石取り大名で構成された豊臣家の旗本衆。
  11. ^ 大日本史料12編17冊945頁
  12. ^ 大日本史料12編18冊126頁〜299頁。
  13. ^ 桑田忠親は一重は「徳川方のスパイではなかったかと思われる節もある」と述べている[8]
  14. ^ 義弟小寺則頼の子。
  15. ^ 正重は、寛文4年(1664年)まで生き、84歳と長寿だった。


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