青木一重
青木一重(あおき かずしげ) 1551~1627
青木一重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:23 UTC 版)
青木 一重(あおき かずしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。摂津国麻田藩初代藩主。諱は重通ともいう。通称は所右衛門尉、民部少輔。官位は従五位下民部少輔。
- ^ 小寺宮内右衛門。斎藤義龍の家臣。
- ^ 徳川家康の家臣。三方ヶ原の戦いで討死。
- ^ 羽柴秀吉の家臣。天正6年の播磨攻めで戦死。
- ^ a b 次郎右衛門。徳川家康の家臣。麻田藩2代藩主重兼の実父。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 堀田 1923, p. 522.
- ^ a b 大日本人名辞書刊行会 1926, p. 2.
- ^ なお、小牧・長久手の戦いの後、羽柴秀吉が一重を自らの家臣にしたいと家康に頼んだため、秀吉の家臣となり黄母衣衆となったとする書物もあるが、『寛政重修諸家譜』などには丹羽家仕官時代を挟むことが書かれている。
- ^ a b 桑田 1971, p. 76.
- ^ a b 高柳 1981, p. 3.
- ^ 速水守久や伊東長実ら1万石取り大名で構成された豊臣家の旗本衆。
- ^ 大日本史料12編17冊945頁
- ^ 大日本史料12編18冊126頁〜299頁。
- ^ 桑田忠親は一重は「徳川方のスパイではなかったかと思われる節もある」と述べている[8]。
- ^ 義弟小寺則頼の子。
- ^ 正重は、寛文4年(1664年)まで生き、84歳と長寿だった。
固有名詞の分類
- 青木一重のページへのリンク