大坂落城後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:17 UTC 版)
一政は大坂方の落人として処刑される危険もあったが、生き延びることができた。常高院による助命嘆願などがあったと考えられる。以後、京都で牢人生活をするが、片桐孝利(且元の子)からの合力米500石の仕送りを受けており、生活には余裕があったようである。片桐家からの支援は、一政が且元のために尽くしたことに報いるものである。 『浅井一政自記』には夏の陣で首級を挙げた時の証人の現住所も把握しており、大坂方参加者との交流も長期にわたって続いていたことが窺える。大名家への仕官に向け、互いの戦功を証明する手段として書簡をやり取りしていたようである。
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