渡辺守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:13 UTC 版)
渡辺 守(わたなべ まもる)は、江戸時代前期の武士。甲府藩主徳川綱重の家臣で、子孫は江戸幕府の旗本となった[1]。
注釈
- ^ 『続武家閑談』では渡辺糺の最期について、秀頼の再起のために近江国に潜行したが、秀頼が自害したと聞いて切腹したとする説を採用し(渡辺家の所伝であったらしく「かの家の正説疑いなし」と評価している)、大坂城で自害したと伝えられたのは似た首によるものであろうとしている。
- ^ 大名一柳家の当時の当主は一柳直盛であるが、土佐守は名乗っていない。ただし18世前半には小野藩主一柳家が代々「土佐守」を称している。
- ^ 『大日本史料』が引く『続武家閑談』では「素心尼」とし、「牧野兵部太輔後家」、前田了心の母とある[2]。この人物は「祖心尼」とも表記され、牧村利貞(兵部大輔)の娘で、前田利長の養女となり、前田直知の妻となって一子(対馬守入道了心)を生んだ。直知の死後、町野幸和の妻となって一女を生むが、幸和の死後には出家して徳川家光に仕えたという人物である。家光の寵遇を得、牛込に済松寺を開いた[3]。祖心尼と町野幸和との娘が生んだ娘は、家光の側室(自証院)になった[4]。素心尼の父の利貞は稲葉家の出身で、春日局は利貞の弟である稲葉正成の妻であった時期があるため縁戚関係にある[5]。
出典
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