陸戦隊の増派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 11:20 UTC 版)
日本政府は、国民党軍が上海で日本側に対する砲撃、日本の軍艦に対する爆撃まで行ったことから14日夜から緊急閣議を開き、それまで日本側が取ってきた事態の不拡大政策を見直し、8月15日未明、「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」との声明を発表した。[要検証 – ノート]第3師団と第11師団に動員命令が下り、上海派遣軍が編制され、松井石根大将が司令官となる。日本海軍は、前日に延期された九州から南京への航空機による渡洋爆撃をこの日より開始し、戦闘の激化と共に飛行機を輸入に頼る国民党軍を駆逐し、上海周辺の制空権を掌握していく。[要出典] 第87師、第88師の2個師であった中国軍は、15日になると、第15師、第118師が加わり、17日には第36師も参戦し、7万あまりとなった。日本側は、横須賀と呉の特別陸戦隊1400名が18日朝に、佐世保の特別陸戦隊2個大隊1000名が19日夜に上海に到着し、合わせて約6300名となった。 8月19日以降も中国軍の激しい攻撃は続いたが、特別陸戦隊は10倍ほどの精鋭を相手に、大損害を出しながらも、租界の日本側の拠点を死守した。蔣介石は後日、「緒戦の1週目、全力で上海の敵軍を消滅することができなかった」と悔やんだ。
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