防火空地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 09:41 UTC 版)
ウィキソースに明治39年台南庁告示第131号の原文があります。 1906年、台南庁が「火防其ノ他ノ必要ニ依リ」として出した告示第131号によると、三界壇を空地とし、同時に龍王廟街や下横街を街路拡幅(現南門路(中国語版)と忠義路(中国語版))とする計画だった。これが公園の前身である。 1907年に空地内で児玉源太郎の第4代台湾総督就任を記念する寿像が建立・落成した。このため、当時を知る年配層の台南人は今でもこの場所を「石像」(白話字:chio̍h-siōng)と呼ぶことがある。 寿像は第二次世界大戦後に行方不明となったが、2015年12月に台湾歩兵第2連隊の駐屯地(現台南市北区にある市定古蹟「zh:原日軍步兵第二聯隊官舍群」)の地板の下から頭部が発見され、鑑定の結果雪花石膏材質のものと判明している。児玉像は文化局が保管し、修復後の公園には戻さないとしている。 湯徳章紀念公園中華民国(台湾)文化資産 児玉源太郎像があった1910年代の公園。 登録名称湯德章紀念公園 旧称大正公園 その他の呼称民生緑園(Min Sheng Green Park) 種類歴史性圓環 等級直轄市定古蹟 文化資産登録公告時期2004年4月30日 位置台南市中西区公園路、中山路、青年路、開山路、南門路、中正路、民生路の交差点 建設年代明治44年(1911年) 湯徳章紀念公園(民生緑園)公園入口 各種表記繁体字:湯德章紀念公園 簡体字:汤德章纪念公园 拼音:Tāng Dézhāng Jìniàn Gōngyuán 通用拼音:Tāng Déjhāng Jìniàn Gōngyuán 注音符号:ㄊㄤ ㄉㄜ ㄓㄤ ㄐㄧ ㄋㄧㄢ ㄍㄨㄥ ㄩㄢ 発音:タン デヂャン ジンニェン ゴンユェン 台湾語白話字:Thng Tek-chiong kì-liām kong-hn̂g 日本語読み:とうとくしょうきねんこうえん 英文:Tang Te-chang Memorial ParkMinsheng Green Park テンプレートを表示
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