長谷川和彦とは? わかりやすく解説

はせがわ‐かずひこ〔はせがは‐〕【長谷川和彦】


長谷川和彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 00:43 UTC 版)

長谷川 和彦(はせがわ かずひこ、1946年1月5日 - )は、日本の映画監督。 愛称はゴジ。


注釈

  1. ^ 国産のピンク映画よりフィルム貸し出し料が高い洋画のピンク映画を、いっそ海外から買うよりも、日本にいる素人の外国人を騙して、タダで連れてきて撮影しようというプランだった。主役の黒人は立川基地の兵士で、彼のオフに合わせて撮影した。しかし初の監督作に力の入るゴジの演出がピンク映画の枠を逸脱し、10日で終わる予定の撮影が2ヶ月たっても終わらない。それでも台本の9割は撮影した。しかし裸は出てもエロ要素が薄く、追加の予算で裸のアップを入れるつもりが、予算を預けたプロデューサーが金を倍に増やそうとして競馬に賭けて無くなり頓挫した。あらすじは、関東村を脱出した主人公が放浪を続けながら仲間たちに出会っていくという日本版『イージーライダー』。当時国産のピンク映画は250万円で作っていたが350万円の予算だった。若松孝二が「ゴジ、それは大作だ!」と驚いていたという。この幻のデビュー作は、今も現像所の倉庫にあると話している[17]
  2. ^ 井上陽水が麻雀を通じて文化人と交流を持った経緯は、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木寛之に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち阿佐田哲也に会い、この後、長谷川と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之黒鉄ヒロシ畑正憲らと知り合った[73]

出典

  1. ^ a b c d 青春の殺人者 | 広島国際映画祭 | HIFF
  2. ^ a b c d e 宮畑譲 (2021年1月9日). “「もう1本撮って死ぬ」40年も沈黙続ける「伝説の映画監督」長谷川和彦が激白”. 東京新聞 (東京新聞社): p. 2. オリジナルの2022年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220108225538/https://www.tokyo-np.co.jp/article/152936/1 2022年2月27日閲覧。 
  3. ^ a b 中島丈博「熱気あふれる『青春の殺人者』伊豆・下田ロケ訪問」『キネマ旬報』1976年10月下旬号、77−79頁
  4. ^ 『キネマ旬報』2011年3月下旬号、p.143
  5. ^ a b c d 「わくわくすることを求め続けて 長谷川和彦インタビュー」『毎日ムック―シリーズ 20世紀の記憶 かい人21面相の時代 1976-1988』(2000年、毎日新聞社)pp.26-27
  6. ^ a b c d e f g h i j k 「対談 長谷川和彦×相米慎二」『月刊シナリオ』日本シナリオ作家協会、1980年8月、8-17頁。 
  7. ^ 高校時代の思い出/米子市ホームページ
  8. ^ a b c d e f g h i 田山力哉『新しい映画づくりの旗手たち』(1980年、ダヴィッド社)pp.214-221
  9. ^ a b c 香取俊介『人間ドキュメント 今村昌平伝説』(2004年、河出書房新社)pp.276-279
  10. ^ 今村昌平「長谷川和彦という男」『キネマ旬報』1976年10月下旬号、109頁
  11. ^ 浦山桐郎「『泥の河』に寄せて」 『月刊シナリオ』1981年6月、pp.50-51
  12. ^ 香取、2004年、pp.281-283
  13. ^ 香取、2004年、p,290
  14. ^ 香取、2004年、p.293
  15. ^ 香取、2004年、pp.295-296
  16. ^ a b c d e f g h i j k 「インタビュー長谷川和彦」『月刊シナリオ』1982年5月号、pp.14-18
  17. ^ 「失われた映画を求めて これは、観たい!巨匠たちの未完の大作。 『センチメンタル・ジャーニー』『連合赤軍』長谷川和彦」『BRUTUS』1998年8月15日号、マガジンハウス、27頁。
  18. ^ 佐藤隆信『黒沢清の映画術』(2006年、新潮社)p51
  19. ^ a b c 「佐々木志朗・小林紘・荒戸源次郎『オーナーたちの最大魅力映画群(その1) 狂い咲きサンダーロードをめぐって」『月刊シナリオ』1980年9月号、pp.40-46
  20. ^ 「談盟友、そして仇敵が死んだ 長谷川和彦vs荒井晴彦」『映画芸術』2002年夏・秋合併号 NO.401(編集プロダクション映芸)p.27
  21. ^ 『映画芸術』NO.401、p.27
  22. ^ 『シネアルバム126 相米慎二映画の断章』(1989年、芳賀書店)pp.54、65
  23. ^ 『キネマ旬報』2011年9月下旬号、p.66
  24. ^ 柳澤健『1974年のサマークリスマス』(集英社)
  25. ^ a b c d 長谷川和彦「顔と言葉 非現実的な予算の中で」『キネマ旬報』1976年9月下旬号、59頁
  26. ^ a b c d e 「八面六臂の『猶予』大活動の甲斐なく長谷川監督の『入獄』前夜」『週刊新潮』1983年3月3日、pp.140-143
  27. ^ 田山力哉『新しい映画づくりの旗手たち』(1980年2月、ダヴィッド社)p224
  28. ^ 野村正昭+塩田時敏「キネ旬クローズアップ 佐々木史朗インタビュー 『君はATGを見たか』」『キネマ旬報』1986年4月上旬号、102頁
  29. ^ 『シネアルバム126 相米慎二映画の断章』(1989年、芳賀書店)p.74
  30. ^ 小林信彦『コラムは笑う エンタテインメント評判記 1983-1988』(1989年、筑摩書房)p.10
  31. ^ 小林信彦「本音を申せば 連載 第577回 なつかしい人、笠原和夫2」『週刊文春』2009年11月5日号、p.54
  32. ^ 小林信彦『森繁さんの長い影 本音を申せば6』(文春文庫)
  33. ^ 「邦画新作情報 長谷川和彦が角川映画の脚本を」『キネマ旬報』1976年12月下旬号、pp.184-185
  34. ^ 『月刊シナリオ』 日本シナリオ作家協会、1977年1月号、p.83
  35. ^ 『甦る相米慎二』(2011年、インスクリプト)pp.183-186
  36. ^ ウォーク・ドント・ラン. 講談社. (1981年7月20日 1981) 
  37. ^ 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2007年最新版』(2006年、ぴあ)p363
  38. ^ 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開1位は東京物語とゴッドファーザー キネ旬がベスト10 - Asahi、「キネ旬ムック オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」キネマ旬報社、2009年12月、p1-20、Amazon.co.jp: 太陽を盗んだ男[DVD]商品の説明
  39. ^ 「控訴棄却!長谷川和彦監督に懲役6ヶ月の厳しい実刑判決」『週刊平凡]』1982年11月4日号、pp.36-37
  40. ^ a b 『映画芸術』NO.401、p.28
  41. ^ 「飲酒運転で刑務所生活162日、仮出所した長谷川和彦監督」『週刊明星』1983年9月8日号
  42. ^ a b 「長谷川和彦出所」『月刊シナリオ』1983年11月号、p.107
  43. ^ 「パーティ ゴジとの再会を喜ぶ会」『噂の真相』1983年10月号、p.14
  44. ^ a b インタビュー長谷川和彦「5月末にディレクターズ・カンパニー設立を目指す 好きな映画を作ってしっかり金を儲ける」 『月刊シナリオ』1982年6月、pp.62-67
  45. ^ a b c d e 長谷川和彦・根岸吉太郎・相米慎二「ディレクターズ・カンパニーの監督たち シンポジウム報告」司会・大久保賢一『キネマ旬報』1990年5月下旬号、pp.140-143
  46. ^ 宮畑譲 (2021年1月9日). “「もう1本撮って死ぬ」40年も沈黙続ける「伝説の映画監督」長谷川和彦が激白”. 東京新聞 (東京新聞社): p. 1. オリジナルの2022年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220108225538/https://www.tokyo-np.co.jp/article/152936/1 2022年2月27日閲覧。 
  47. ^ vol.127 黒沢清の映画術- 全国映画よもやま話
  48. ^ 『映画芸術』NO.401、p.29
  49. ^ 黒沢清監督が語る『神田川淫乱戦争』から『ダゲレオタイプの女』までの軌跡
  50. ^ 効率至上主義の真逆を突き進んだ男、伝説のシネアスト(映画人)相米慎二
  51. ^ 黒沢清の映画術、45-48、60頁、効率至上主義の真逆を突き進んだ男、伝説のシネアスト(映画人)相米慎二「あ、春」「セーラー服と機関銃」 - KAWASAKIしんゆり映画祭
  52. ^ 「撮影現場訪問 逆噴射家族」『キネマ旬報』1984年4月下旬号、pp.138
  53. ^ 『爆裂都市』から『ソレダケ』へーー石井岳龍監督が再びロック映画に向かった理由
  54. ^ 黒沢清の映画術、69-71頁
  55. ^ 鈴木義昭「解散説が取沙汰されるディレクターズカンパニーの内情」『噂の真相』1988年5月号、p.59
  56. ^ 山根貞男『映画はどこへ行くか 日本映画時評'89-'92』(1993年、筑摩書房)p.207
  57. ^ 『映画芸術』NO.401、pp.32-33
  58. ^ a b c d e 長谷川和彦監督が35年間新作を撮っていない理由とは
  59. ^ 新文芸坐開館9周年企画に長谷川“ゴジ”和彦監督が降臨!、鈴木隆『俳優 原田美枝子 映画に生きて生かされて』(2011年、毎日新聞社)58頁
  60. ^ 轟夕起夫「日本一多作な男が日本一寡作な男の半生に迫る! 長谷川和彦vs三池崇史」『轟夕起夫の映画あばれ火祭り』 (2002年、河出書房新社)p.237
  61. ^ 川北紘一『特撮魂 東宝特撮奮戦記』(2010年、洋泉社)p.159
  62. ^ 『映画芸術』2009秋、NO.429(編集プロダクション映芸)p.16
  63. ^ a b 樋口尚文『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』(2004年、筑摩書房)p.249
  64. ^ ″歩く伝説″山本又一朗プロデューサー 小栗旬初監督作の舞台裏を存分に語る!(後編)
  65. ^ 俊藤浩滋・山根貞男『任侠映画伝』(1999年、講談社)36-238頁
  66. ^ a b c 田村孟「映画に遠い脚本家〈その2〉 『連合赤軍』ロングロングアゴウ」『月刊シナリオ』1990年10月号、pp.48-51
  67. ^ 宮畑譲 (2021年1月9日). “「もう1本撮って死ぬ」40年も沈黙続ける「伝説の映画監督」長谷川和彦が激白”. 東京新聞 (東京新聞社): p. 1. オリジナルの2022年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220108225538/https://www.tokyo-np.co.jp/article/152936/1 2022年2月27日閲覧。 
  68. ^ 白井佳夫『監督の椅子』(1981年、話の特集)p.256
  69. ^ 「大友克洋との次の仕事 長谷川和彦インタビュー」『SFイズム』5号(1983年、シャピオ)p.73
  70. ^ INTERVIEW:高橋伴明インタビュー - HogaHolic | ホウガホリック
  71. ^ おれたちの時代の戦争映画を……映画『連合赤軍』のために(『文藝』2000年秋号). 河出書房 
  72. ^ 映画芸術: 映芸マンスリーVOL14
  73. ^ 井上陽水えのきどいちろう『井上陽水全発言』、福武書店、1994年、131頁。
  74. ^ 「半同棲中 室井滋の『結婚して』に長谷川和彦監督が冷や汗!」『アサヒ芸能』1988年11月17日、p.45
  75. ^ 「噂の不倫相手はひと回も年上 室井滋 13才年上の映画監督と半同棲」『女性自身』1991年9月10日、pp.66-67
  76. ^ 「長谷川和彦監督離婚!噂の室井滋といよいよ再婚か」『FLASH』1992年7月29日号、pp.8-9
  77. ^ 「室井滋 映画監督長谷川和彦氏 キトキト同棲中 『いってらっしゃ~い』1億円豪邸前でまるで夫婦のツーショット」『週刊女性』1995年11月28日号、pp.39-41
  78. ^ 朝ドラで農家役の室井滋 実生活でも家庭菜園・野草採取する
  79. ^ 持永昌也「INTERVIEW― 監督・中島哲也の映画づくり」『キネマ旬報』2008年9月上旬号、キネマ旬報社、148 - 151頁。 
  80. ^ 樋口尚文『テレビ・トラベラーー昭和・平成テレビドラマ批評大全』(2012年、国書刊行会)9頁
  81. ^ 映画監督になる方法「私はこうして監督になりました」(日本映画監督協会 座談会)
  82. ^ 成島出監督~映画への熱き思い 映画に対する思い| 東映マイスター
  83. ^ 成島出(なるしま・いずる)クリエイター・インタビュー PEOPLE / CREATOR
  84. ^ 『ちょっと今から仕事やめてくる』成島出監督インタビュー【PR】転職会議レポート『風を見た少年』 - WERDE OFFICE
  85. ^ 映画『ソロモンの偽証』監督 成島 出さん - Creative Village
  86. ^ a b 「ソロモンの偽証 脚本 真辺克彦に聞く」『映画芸術』、編集プロダクション映芸、2015年春号 第451号、p51。 
  87. ^ 平山秀幸『呑むか撮るか 平山秀幸映画屋(カツドウヤ)街道』ワイズ出版、2016年、22-25頁。ISBN 9784898303023 
  88. ^ 平山秀幸監督が映画屋人生を語り尽くす
  89. ^ 早稲田松竹2007/10/6~2007/10/12【寺島進おれの1本】第1回『太陽を盗んだ男』ー長谷川和彦に映画を聞く! - ぴあフィルムフェスティバル(PFF)河瀬直美「太陽を盗んだ男」を見て長谷川和彦に聞く! - TwitLonger 河瀨直美が世界に伝えたい日本の名画[1]屈指の問題作「太陽を盗んだ男」長谷川和彦監督が33年を経た今、改めて自作を振り返る! 長谷川和彦さんに取材: newswave on line (personal edition)大根仁が世界に伝えたい日本の名画[2]しんゆり発 5時からシネマ Vol.1 - 川崎市アートセンター アルテリオ映像館
  90. ^ 轟、2002年、p.243
  91. ^ a b c d 白井佳夫『監督の椅子』(1981年、話の特集)pp.226-227
  92. ^ 香取、2004年、p.295
  93. ^ 内田裕也オフィシャルサイト
  94. ^ 中田新一『奔れ!助監督 奮闘昭和映画史』(2010年、早稲田出版)p.51
  95. ^ a b 松島利行『日活ロマンポルノ全史 名作・名優・名監督たち』(2000年、講談社)pp.247-248
  96. ^ 「談盟友、そして仇敵が死んだ 長谷川和彦vs荒井晴彦」『映画芸術』NO.401、pp.23-24
  97. ^ 『黒沢清の映画術』51、69頁、サンスター VO5 for MEN
  98. ^ 佐々木美智子 岩本茂之『新宿、わたしの解放区』(2012年、寿郎社)p113
  99. ^ 高瀬将嗣「技斗番長 活劇与太郎行進曲」『映画秘宝』2012年6月号(洋泉社)p95
  100. ^ 内藤誠『偏屈系映画図鑑』(2011年、キネマ旬報社)p.196
  101. ^ 立松和平『映画主義者 深作欣二』(2003年、文藝春秋)p.157
  102. ^ 宮崎三枝子著・高平哲郎構成・編集『白く染まれ ホワイトという場所と人々』(2005年、アイビーシーパブリッシング)p.45、52、136
  103. ^ 今村昌平『映画は狂気の旅である 私の履歴書』(2004年、日本経済新聞社)p.149
  104. ^ 香取、2004年、pp.276、302-307
  105. ^ 『井筒和幸のナイタースペシャル』(2013年5月30日放送)
  106. ^ 「阿川佐和子のこの人に会いたい」『週刊文春』2011年10月6日号
  107. ^ profile32 |www.morinaga-hiroshi.combook - 森永博志


「長谷川和彦」の続きの解説一覧

長谷川和彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/29 05:53 UTC 版)

私…」の記事における「長谷川和彦」の解説

多く銃弾浴びて血まみれになり、それをスローモーションにするという演出11発の弾着付けるという操演要求したが、AD間違えて8発し付けず、そのために思い描いた映像撮れなかったという。

※この「長谷川和彦」の解説は、「私…」の解説の一部です。
「長谷川和彦」を含む「私…」の記事については、「私…」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「長谷川和彦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長谷川和彦」の関連用語

長谷川和彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長谷川和彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長谷川和彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの私… (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS