鉄道・ダム工事と光顕寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 01:23 UTC 版)
「光顕寺 (北海道幌加内町)」の記事における「鉄道・ダム工事と光顕寺」の解説
朱鞠内で鉄道・ダム工事が行われた1940年代は太平洋戦争の只中にあり、タコ労働者や朝鮮人、中国人労働者を使った強引な工事が行われていた。朱鞠内は道内有数の豪雪地帯で知られ、冬季の気温も-40℃を記録するなど非常に過酷な自然環境にあったが、国策である工事は冬季間も休まず続けられた。労働者のなかには、過酷な労働に加えて自然環境の厳しさから怪我や病気になる者が絶えず、死に至った者も少なくなかった。 工事犠牲者は後の調査によって210余名が判明しているが、光顕寺本堂で、当時犠牲となった労働者が着の身着のままで一夜の弔いを受けた。
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