金色堂に眠る基衡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 16:44 UTC 版)
基衡の遺骸はミイラとなって父清衡、子秀衡と共に現在も中尊寺金色堂内に納められている。新たに仏壇を増築して納められたと考えられている。1950年(昭和25年)の遺体学術調査について1994年7月に中尊寺により上梓された『中尊寺御遺体学術調査 最終報告』によると、基衡は血液型A型、身長は三代中もっとも高く167cm。太く短い首、福々しい顔。よく発達した胴、胸幅は厚く広い、いかり肩で腰から下は比較的小さい。肥満体質で歯にカリエス、歯槽膿漏。右側上下肢に軽度の骨萎縮が見られ、右半身不随あり、脳圧の上昇が確認され、「憶測が許されるならば」との添え書きの上で、脳出血、脳栓塞、脳腫瘍などで急死したとみられると報告されている。三代中もっとも恵まれた体躯(たいく)の持ち主だった。遺体は金箔が施され、錦で内貼りされた木棺の中に念珠や刀などの副葬品と共に納められ、両足の先以外はほぼ完全にミイラ化していた。 死亡年齢は50歳代、50歳代 - 60歳代、あるいは54歳 - 55歳、55歳 - 60歳、60歳前後と見られている。
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