藤原基衡とは? わかりやすく解説

ふじわら‐の‐もとひら〔ふぢはら‐〕【藤原基衡】

読み方:ふじわらのもとひら

平安末期陸奥(むつ)の豪族。清衡の子。秀衡の父。平泉居館構え陸奥六郡を支配して奥州藤原氏3代栄華誇った毛越寺(もうつうじ)を建立生没年未詳


藤原基衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 13:21 UTC 版)

藤原 基衡(ふじわら の もとひら)は、平安時代後期の豪族奥州藤原氏第2代当主。藤原清衡の次男に当たる。


注釈

  1. ^ 生年については諸説あり、大治3年(1128年)時点で26歳から27歳との推測もある。この場合、康和4年(1102年)から翌康和5年(1103年)に生まれたとされる。他に康和6年、長治元年(1104年)から長治2年(1105年)生まれとも推測されている。
  2. ^ なお、翌3年(1158年)に没したという説もある。
  3. ^ 元永2年(1119年)当時清衡には6男3女の子供がいたと見られる[2]。応徳3年(1086年)に父清衡は異父弟家衡に屋敷を襲撃され、当時の妻子眷族を皆殺しにされている。
  4. ^ しかし、安倍宗任は1062年に前九年の役により京都・伊予・筑前と配流されており雑記の筆者も疑問を呈している。その一方で、『佐々木系図』に安倍宗任の娘を母として記載されている佐々木秀義佐々木為俊の子)が一時期伯母の縁で秀衡を頼ろうとしたと伝えられており、基衡室と佐々木為俊の室は姉妹と考えて間違いないとする川島茂裕や川合康の説もある[4]
  5. ^ 秀衡の生母については安倍宗任の娘とされているが、一説に基衡が安倍宗任の娘を正室に迎えたのは家督継承後で、それ以前に秀衡は生まれていたとされる。このことから、秀衡の生母は基衡が家督継承以前に迎えていた妻ではないかという推測もある。
  6. ^ 秀衡の通称が次郎で秀衡の次男泰衡の通称が次郎の次男という意味合いがある小次郎であることから、秀衡には兄がいたとの推測がある。
  7. ^ 津軽氏の祖とされる。名は「ひでひさ」、もしくは「ひではる」。
  8. ^ 一説に子、または甥。
  9. ^ 清衡の娘(つまり、基衡の姉妹)か基衡の娘といわれている。また、実際には清原真衡の娘で清衡の養女とも、基衡の養女ともされる。
  10. ^ 天仁元年(1108年)、鳥羽上皇の勅宣により藤原氏が奉行となり出羽国(現・山形県寒河江市)の慈恩寺再建を行っているが、仁平年間(1151年~1153年)の再興にあたっては平忠盛への奉行の転換が行われる。これについては奥州藤原氏と藤原摂関家が年貢増徴をめぐって争ったことが遠因ではないかとの指摘もある[7]
  11. ^ 高橋富雄は観自在王院を建立したとされる女性を「基衡妻」とするのは誤記で、基衡の父・清衡の妻の一人であった(=「基衡母」)という独自の見解を示している。
  12. ^ 若くして亡くなるの意味。

出典

  1. ^ 『史料総覧』3編903冊362頁。「藤原清衡系図」(続平泉雑記所載)[注釈 2]
  2. ^ 「紺紙金銀字交書一切経 大品経 巻二十二」の奥書
  3. ^ 『史料総覧』3編903冊362頁。「平泉志」「続平泉雑記」
  4. ^ 川島茂裕「藤原基衡と秀衡の妻たち」(『歴史』101号、2003年)
  5. ^ 『寒河江市史 上巻』『寒河江市史 慈恩寺中世資料(解読版)』、「瑞宝山慈恩寺伽藍記」
  6. ^ 源師時の日記『長秋記』大治5年(1130年)6月8日条
  7. ^ 『寒河江市史 上巻』 p.256


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藤原基衡

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大水滸シリーズの登場人物」の記事における「藤原基衡」の解説

奥州藤原氏第2代当主梁山泊からは「日本の北の王」と認識されており、京との複雑な関係はあまり理解されていない

※この「藤原基衡」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
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