金宰炫(キム・ジェヒョン、在籍年度1994 - 2004)
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柳志炫、徐容彬とともに1994年の新人旋風の中心の一人。パワーヒッターとしての片鱗を見せ、新人ながら21本塁打を記録。LGツインズとOBベアーズは、広い蚕室球場をホームに持って、1992年になってようやく年間20本塁打を超えた打者を輩出した。こういう状況の中で、高卒間もない新人として年間20ホームランを軽く超えて、長距離砲の候補として期待を集める。しかし、その後は長打力はなかなか成長を見せず、年間20ホームラン以上を記録したのは新人の年を含めて2度しかない。その反面、打率の方は2000年から6年連続3割を記録。2002年シーズン途中、「大腿骨頭無血性壊死」という奇病を診断され、選手生命の危機に立たされる。しかし、これを承知で韓国シリーズに強行出場、代打で活躍し、ファンに強い印象を残す。手術を経て、無事チームに復帰したものの、それからの活躍の可能性に疑いを持った球団側は再発の場合を想定した裏面契約を迫り、球団に不信感を持つようになる。この件を根にもって、2003年シーズンオフ、FA宣言して、SKワイバーンズに移籍。チームを代表するスター選手に対する球団側の粗末な扱いにファンからの批判の嵐が起こされた。SKでは3度の韓国シリーズ優勝に貢献し、2010年シーズン終了後に引退。2011年は米国のロサンゼルス・ドジャース傘下のA級マイナーリーグに属するグレートレーク・ルーンス、2012年は日本・読売ジャイアンツでコーチ研修を受けた。2013年からスポーツ専門ケーブルテレビ局の解説者になった。
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