過去の日本の行政区画とは? わかりやすく解説

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過去の日本の行政区画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 01:14 UTC 版)

区 (行政区画)」の記事における「過去の日本の行政区画」の解説

歴史的には、1878年郡区町村編制法で、都市域に郡から分離された区が置かれた。東京京都・大阪の三市にはそれぞれ複数の区が、そのほか大都市にはそれぞれ1つの区がおかれた。1889年からの市制下では、三市の区は市の下の地方自治体となり、そのほかの区はそのままとなったその後名古屋市1908年~)、横浜市1927年~)、神戸市1931年~)に自治権のない行政区画として区が設置された。 そのほか現在の区と繋がりが薄いものも含め、以下のような区があった。 1871年から1872年まで全国設けられ地方区分。「大区小区制」を参照1878年から1889年まで都市部設けられ地方区分。「郡区町村編制法」を参照1889年から1947年まで勅令指定され東京市京都市大阪市設けられ地方区分前項の区を引き継ぎ、各市(1943年7月1日以降東京市東京都)の下位地方自治体とされた(市制第6条の市の区)。 大都市特例として内務省令で指定され名古屋市1908年以降)、横浜市1927年以降)、神戸市1931年以降)に置かれた行区画前項の3市の場合とは異なり自治体ではなく単なる行政区画であった市制82第3項の市の区)。ただし、神戸市1896年冠称として用いられる町名一部である「区」が設置されてはいた。 1896年から1921年まで沖縄県那覇首里設けられ地方区分那覇区首里区)。ともに1921年市制施行され那覇市首里となった1899年から1922年まで北海道都市部設けられ地方区分札幌区小樽区函館区1899年設置)、旭川区1914年設置)、室蘭区1918年設置)、釧路区1920年設置)があった。いずれも1922年市制施行されて市になった。なお、札幌区函館区は「郡区町村編制法」に基づく区より移行1889年から1947年まで町村制64条の規定に基づき町村の下に設置されていた区分町村条例基づいて設置され、区を選挙区とする選挙により選ばれ区長置かれた。

※この「過去の日本の行政区画」の解説は、「区 (行政区画)」の解説の一部です。
「過去の日本の行政区画」を含む「区 (行政区画)」の記事については、「区 (行政区画)」の概要を参照ください。

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