とおし‐や〔とほし‐〕【通し矢】
通し矢
通し矢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 20:26 UTC 版)
詳細は「通し矢」を参照 本堂西側の軒下(長さ約121m)を南から北に矢を射通す弓術の競技。安土桃山時代に行われ始め、江戸時代前期に各藩の弓術家により盛んに行われ、京の名物行事となった。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜き、その本数を競った(右上浮世絵画像参照)。藩の後押しで多くの弓術家が技量を競ったことから弓術家の名誉となり、一昼夜での通し矢数を競う「大矢数」の記録達成者は「天下一」を称した。貞享3年(1686年)4月27日に紀州藩の和佐範遠(大八郎)が総矢数13,053本中通し矢8,133本で天下一となり、これが現在までの最高記録である。 その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。大会参加者のうち新成人女性が振袖袴姿で行射する場面は、しばしばニュース番組等で取り上げられる。一般的には「通し矢」と呼ばれているが、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、軒高による制限もないことから、江戸時代の通し矢における風景とはまったく異なっている。
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