近鉄大阪線列車衝突事故
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近鉄大阪線列車衝突事故(きんてつおおさかせんれっしゃしょうとつじこ)とは、1971年(昭和46年)10月25日に三重県一志郡白山町(現・津市)にある近鉄大阪線垣内(かいと)東信号所(現在複線化により廃止)付近の総谷トンネル内で発生した列車衝突事故である。一般的には「青山トンネル事故」とも呼ばれる。
- ^ a b c ジェー・アール・アール発行の「決定版 近鉄特急」(1985年発行)記事内の記述
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル 12月号臨時増刊「近畿日本鉄道」』電気車研究会、2018年12月10日、127-128頁。
- ^ 「ATSなどを検査 運輸省特別監査二日目」昭和46年(1971年)11月9日 中日新聞朝刊
- ^ 『関西の私鉄』、朝日新聞大阪本社社会部編、p.223
- ^ 「それ救援だ、薬だ 地元民、一丸の大活躍」昭和46年(1971年)10月26日 中日新聞三重版
- ^ 「悪夢の日から10年」昭和56年(1981年)10月25日 中日新聞三重版
- ^ 『関西の私鉄』、朝日新聞大阪本社社会部編、p.224
- ^ 「原因ほぼブレーキ故障」「信号所前を異常通過 この日ATS5回故障」昭和46年(1971年)10月26日 朝日新聞夕刊
- ^ 「鉄塊の下で「助けて!」“早く、切断機はないか”」昭和46年(1971年)10月26日 読売新聞 朝刊
- ^ 事故翌年の1972年7月、寺の敷地内に慰霊碑が建てられた。
- ^ 「身元わからぬ遺体も」昭和46年(1971年)10月26日 中日新聞 朝刊 12版、15面
- ^ 「おそまつな事後措置 架線の断線で事故知る」昭和46年(1971年)10月26日 日本経済新聞 朝刊
- ^ 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年12月、近畿日本鉄道、p.379
- ^ 「1番列車通過にホッと “霊安かれ”と現場に花束」昭和46年(1971年)10月29日 伊勢新聞 朝刊 7版
- ^ 当時の名阪ノンストップ特急は東海道新幹線に客を奪われて利用率が低迷していたため、運転再開の優先順位が低かったというのもある。
- ^ これらの車両は製造から2 - 4年ほどしか経過していなかった。
- 1 近鉄大阪線列車衝突事故とは
- 2 近鉄大阪線列車衝突事故の概要
- 3 対策
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