近世~絶対王政時代とは? わかりやすく解説

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近世~絶対王政時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 20:09 UTC 版)

ガリア起源説」の記事における「近世~絶対王政時代」の解説

フランス人が自らのルーツガリア人求め始めるのは、一般に近代ナショナリズムの時代だと思われがちだが、その嚆矢は既に近世初期現れていた。1498年ヴィテルボのアンニウスが『古代雑篇』"Antiquitatum Variarum"を著したが、これを見た詩人ジャン・ルメール・ド・ベルジェは散文によって歴史小説風の『ガリア顕賞トロイア特殊性』"Illustrations de Gaule et singularitez de Troye (1510–1514)"を書いた何れもフランス起源ガリア求めているのであるが、後者著者ブルターニュ女公アンヌ通じてヴァロア朝ルイ12世伺候していた関係から、特にガリア優越強調した内容になり、トロイア英雄ヘクトールブルグント王国に関係付けている。当時フランスブルターニュ女公ルイ婚姻によって領土再統一果たし北イタリアにも侵攻しミラノ領有ローマ教皇神聖ローマ帝国とも対立深めており国威の発揚という要素もある。 1589年ブルボン朝成立し絶対王政確立されるが、フランスガリア研究滞ることなく行われた他方ブルボン朝君主達も、王権強化のためにガリア利用したそうである。1610年ルイ13世即位するが、彼の成聖式記録したフランス儀典書』に拠ると当時ランスサン・ドニ門にはガリア伝説の王サモスの像が刻まれサモスランス築いた記されていた。元々、歴代フランスの王はランスノートルダム大聖堂戴冠式挙げていたから、サモスランス結び付けることでフランス王権由緒正しいものである主張したのである。そしてサモス築いたランスを、ローマ築いたとされるレムス発展完成させたと記している。これはローマ対すガリア優越性を示すものであったとされる今村真介王権修辞学講談社選書メチエ2004年)。

※この「近世~絶対王政時代」の解説は、「ガリア起源説」の解説の一部です。
「近世~絶対王政時代」を含む「ガリア起源説」の記事については、「ガリア起源説」の概要を参照ください。

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