東叡大王
輪王寺宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:56 UTC 版)
寛永寺では第三代以降幕末まで歴代の住職に法親王が就任した。 寛永20年(1643年)、天海が没した後、弟子の毘沙門堂門跡・公海が2世貫主として入山。その後を継いで3世貫主となったのは、後水尾天皇第3皇子の守澄法親王である。法親王は承応3年(1654年)、寛永寺貫主となり、日光山主を兼ね、翌明暦元年(1655年)には天台座主を兼ねることとなった。 以後、幕末の15世公現入道親王(北白川宮能久親王)に至るまで、皇子または天皇の猶子が寛永寺の貫主を務めた。貫主は「輪王寺宮」と尊称され、水戸・尾張・紀州の徳川御三家と並ぶ格式と絶大な宗教的権威をもっていた。
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