かものただゆき 【賀茂忠行】
賀茂忠行
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賀茂 忠行(かも の ただゆき)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・陰陽家。安倍晴明の師とされる。父は賀茂江人・賀茂峯雄の説がある。官位は従五位下・丹波権介。
- ^ 一説には天徳4年(960年)とも。
- ^ a b 『尊卑分脈』、『加茂氏系図』(『群書類従』巻63 所収)
- ^ a b 『賀茂系図』(『続群書類従』巻第167 所収)、『仁和寺文書』
- ^ 『今昔物語集』
- ^ 伴信友『新国史逸文考』は、延喜8年(908年)の落雷の記事のなかで「陰陽頭兼出羽介賀茂忠行」に言及する。しかし、当該落雷は、延長8年(930年)のことである上、その後の忠行の官歴からすると、この時点で「陰陽頭」であるとは考え難い。小塩豊「『賀茂保憲女集』研究」(日本文学研究 36, 1-11, 2001-02-20)は、これは『新国史』編纂当時の官職を記載したのであろうとする。
- ^ 『別聚符宣抄』
賀茂忠行(かも ただゆき)
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「陰陽ノ京」の記事における「賀茂忠行(かも ただゆき)」の解説
賀茂家の長で、保胤と保憲の父、光榮の祖父。老齢のため引退の身となっているが、かつては京きっての陰陽師であり、現在もその信は厚い。
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賀茂忠行(かものただゆき)
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「王都妖奇譚」の記事における「賀茂忠行(かものただゆき)」の解説
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賀茂忠行(かもの ただゆき)
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「SAKURA 〜雪月華〜」の記事における「賀茂忠行(かもの ただゆき)」の解説
「平安編」のみ登場。平将国(安倍晴明)の師匠の陰陽師。おだやかで飄々とした性格。晴明たちを暖かく見守る。
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賀茂忠行(かものただゆき)
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「陰陽師 (漫画)」の記事における「賀茂忠行(かものただゆき)」の解説
陰陽寮に属する陰陽師。当時、陰陽師の第一人者と目されていた。安倍晴明を弟子にして、陰陽道を教え込んだ人物。晴明に陰陽師の才能を見出し、瓶の水をそのまま移すように、そのすべてを晴明に授けた。
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