論考・インタビュー・評論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 02:08 UTC 版)
「レーゼシナリオ」の記事における「論考・インタビュー・評論」の解説
ブライアン・ノーマンの論文 Reading a "closet screenplay": Hollywood, James Baldwin's Malcolms and the threat of historical irrelevance 『芥川龍之介論─表現形式の変遷とその芸術観─』第二部第五章……Ctrl+F+「レーゼ・シナリオ」で検索可能 立徳大学准教授・蔡宜静による芥川『誘惑』論:「『誘惑』における映画的手法の導入 ─芥川の前衛映画受容の視点から─」 キャサリン・バロウズが書いた書評……"closet play"という言葉が何回か出てくる。 『Production's "dubious advantage"』……クインビー・メルトン(『スクリプト・ジャーナル』編集者)によるレーゼシナリオ論。タイトルは、シラーがレーゼドラマ『群盗』発表時に書いた序文から得ている。その序文は本論冒頭にも引用されている。タイトルは『制作の曖昧な優位性』と訳されよう。シラーによる序文では制作とは舞台制作のことであるが、メルトンによる本文中では文芸作品の制作を意味する。またメルトンによると、芥川の『或阿呆の一生』や『影』もレーゼシナリオだそうである。たしかに、両者とも『十二 軍港』『東京。』『横浜。』などの場所表記が、シナリオにおける柱書きのようでもあり、地の文は過去形で終わっているものが多いが、ト書きのようにも読める。芥川をレーゼシナリオの先駆者としており、彼が『浅草公園』などを書いた1920年代から1930年代に、アメリカでも(レーゼシナリオではないが)似たようなスタイルの作品をドス・パソスが書いていたことが報告されている。 スクリプト・ジャーナル誌上、山形浩生インタビュー『ダッチ・シュルツ 最期のことば』『ニグロフォビア』などを翻訳した山形浩生が、それらの作品を手がけた経緯や反応や売れ行き、および日本における劇文学の受容のあり方について同誌に答えている。 佐藤未央子「谷崎潤一郎「月の囁き」考─映画を書く/読む行為の諸相から─」(同志社国文学83号)
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