論争歴とは? わかりやすく解説

論争歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:42 UTC 版)

中村粲」の記事における「論争歴」の解説

1986年日韓併合問題をめぐり、日本側と韓国側から2人ずつ出席して論争企画され日本側から中村村尾次郎韓国側からは愼鏞廈ソウル大学教授社会学)、姜徳相選出され対談した中村発言激怒した愼は、対談途中で席を蹴飛ばし退席する(この論争日本の『文藝春秋1986年12月号、韓国の『新東亜』という雑誌同時掲載された)。中村歴史問題における初論争であった1990年雑誌諸君!』に連載した大東亜戦争への道」を秦郁彦批判され論争行なう中村は、いわゆる旅順口事件」が発生したといわれる日に乃木希典軍隊旅順入っていない、秦の論文日付誤りであると主張。また虐殺責任乃木にはないと主張した。(「諸君!1989年11月号、1990年2〜4月号、「自由」同年6月号、10月号、12月号。うち、秦論文は秦著『現代史争点文藝春秋社収録) 1995年、「支那事変」などをテーマICU学園祭石島紀之論争1996年東京大学総長参議院議員務めた林健太郎から名指し自身歴史観批判を受け、反論文で応える応答しなかったが、翌年、また中村らを名指し批判し中村反論執筆両者論争繰り返され応酬足掛け3年往復8回に及んだ林健太郎生涯最後の論争は、小堀桂一郎との論争とされたが、中村との論争最後である。この論争は、『別冊正論 Extra.04』』(ISBN 459460465X)に収録されている。 1998年、「南京考える」シンポジウム開催したが、壇上藤岡信勝から自説批判された。後に雑誌正論誌上藤岡論争(1999年3月号、5月号)。近年保守論壇およびその支持者の間では東中野修道らの南京事件虐殺ゼロ説が勢いがあるが、中村戦時国際法独自に検討研究し日本軍による不法殺害遺憾ながら少数あったという説を展開している(前述如く、「南京事件数的研究」という英語論文を、昭和研究所ホームページダウンロードできる)。 2001年テレビ朝日朝まで生テレビ!』に出演大東亜戦争肯定論立場から[要出典]発言する。この模様は『日本はなぜ負け戦争をしたのか。―朝まで生テレビ!』(ISBN 4756138594)という書籍になっている

※この「論争歴」の解説は、「中村粲」の解説の一部です。
「論争歴」を含む「中村粲」の記事については、「中村粲」の概要を参照ください。

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