西大平大岡家(忠世系)
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江戸時代に西大平藩主を世襲した大岡家の分家、後に宗家。大岡忠吉家大岡忠高の四男大岡忠相が宗家大岡忠真の養子となり、第8代将軍・徳川吉宗に取り立てられ、三河国額田郡西大平1万石の大名となった。後に本来の宗家である大岡忠行家は断絶したため事実上の惣領家となり、大岡忠勝を初代と数える。 最後の西大平藩主大岡忠敬は、1869年(明治2年)に版籍奉還で知藩事に転じるとともに華族に列し、1871年(明治4年)の廃藩置県まで知藩事を務めた。華族令施行後の1884年(明治17年)7月8日に旧小藩知事(西大平藩は現米3250石だったので現米5万石未満の小藩に該当)として子爵に叙せられた。その後息子の大岡忠明が子爵位を継いだ。その後忠明の息子の大岡忠綱が子爵位を継いだ。彼は朝鮮銀行勤務を経て貴族院議員を務めた。忠綱の代の昭和前期に西大平大岡子爵家の邸宅は東京市麻布区宮村町にあった。 歴代当主 大岡忠勝 大岡忠政 大岡忠世 大岡忠真 大岡忠相 大岡忠宜 大岡忠恒 大岡忠與 大岡忠移 大岡忠愛 大岡忠敬 大岡忠明 大岡忠綱 大岡忠輔 大岡秀朗 - 婿養子、子に大岡幹忠(1985年 - )。
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