薄利多売の徹底
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:51 UTC 版)
享保の改革により庶民が不況に喘いだ元文或いは宝暦頃、豊島屋は徹底した薄利多売により利益を得た。酒自体は原価の8文で売り、空き樽を1割弱で引き取ってもらうことで儲けを出した。「豊島屋で又八文が布子を着」の句が残る。 また、酒の肴として特大の豆腐田楽を1本2文という破格の値段で売り、赤味噌を塗って酒が進むように仕掛けた。田楽はその大きさから馬方田楽と呼ばれ評判となり、「田楽も鎌倉河岸は地者也」と詠われた。酒と一緒に酒のつまみを出した点で、豊島屋は居酒屋の原型の一つとされることがある。 節季払いで一度に入る収入を利用して金貸し業も営んだ。 これらの経営努力のもと、幕府勘定方により御用商人に取り立てられ、江戸商人十傑にも列せられた。鎌倉河岸には創業店十右衛門のほかにも、畳などを扱う甚兵衛、瀬戸物を扱う鉄五郎などが並び、豊島屋河岸とも呼ばれた。
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