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三省堂 大辞林

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けごんじ 【華厳寺】

(1)中国山西省大同府にある寺。上寺1062年下寺1038年創建中国最古木造建築の一。

(2)韓国南部智異山の麓、全羅南道東北部にある寺。544年新羅(しらぎ)真興王創建華厳道場中心地であったが、1593年焼失1630年に碧巌(へきがん)再興して以来禅宗道場となった。
(3)岐阜県揖斐(いび)谷汲村にある天台宗の寺。山号は谷汲山。798年豊然(ぶねん)開基西国三十三所最後札所


寺院名辞典

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華厳寺

読み方:ケゴンジ(kegonji)

別名 谷汲山西第三三番霊場

宗派 天台宗

所在 岐阜県揖斐郡谷汲村

本尊 十一面観世音菩薩不動明王毘沙門天


華厳寺

読み方:ケゴンジ(kegonji)

別名 鈴虫の寺

宗派 臨済宗永源寺派

所在 京都府京都市西京区

本尊 大日如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。


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華厳寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/30 01:06 UTC 版)

華厳寺(けごんじ)
Gifu-kegonji5624.JPG
仁王門
所在地 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23
位置 北緯35度32分14.54秒
東経136度36分28.43秒
山号 谷汲山(たにぐみさん)
宗派 天台宗
本尊 十一面観世音菩薩秘仏
創建年 延暦17年(798年
開基 大口大領、豊然上人(開山)
正式名 美濃国谷汲山華厳寺(みののくにたにぐみさんけごんじ)
別称 谷汲山(たにぐみさん)
札所等 西国三十三箇所三十三番
東海白寿三十三観音三十三番
東海三十六不動尊三十三番
文化財 毘沙門天像(重要文化財)
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参道
笈摺堂
仁王門の巨大な草鞋
満願堂
「精進落としの鯉」
33が華厳寺(西国三十三箇所位置図)

華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗寺院。 山号は谷汲山(たにぐみさん)。 本尊十一面観音脇侍として不動明王毘沙門天を安置する。 西国三十三箇所第三十三番札所、満願結願の寺院で桜、紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。 西国三十三箇所の札所寺院では唯一、近畿地方以外にある。

目次

歴史

永禄3年(1560年)成立の『谷汲山根元由来記』によると、華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって創建されたという。『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが、途中、美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、大口大領は同地に草庵を建立。延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。

延暦20年(801年)、桓武天皇勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、仏具・福田として一万五千石を与えたという。「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来する。

西国三十三箇所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。なお、西国三十三箇所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」及び「覚忠伝」では、第三十三番の霊場は三室戸寺になっており、園城寺(三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には、華厳寺は満願所ではなかった。また、三種の御詠歌(後出)のうち、「世を照らす」の歌は作者が判明しており、花山法皇ではなく、前出の覚忠の作歌である[1]

建武元年 1334年足利氏新田氏の戦乱が起こり、新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、本尊ならびに脇侍等は山中に移し難を逃れた。

江戸時代には薩摩国鹿児島慈眼寺住職道破拾穀上人によって再興された。

伽藍

総門をくぐると、左右にソメイヨシノの桜並木、土産物店、飲食店、旅館などの立ち並ぶ参道が続き、距離にして約1km、徒歩10分ほどで仁王門に達する。仁王門から本堂まではゆるやかな登りの石畳の参道となり、右手には放生池、地蔵堂、茶所、一乗院、十王堂、羅漢堂、英霊堂、三十三所観音堂、左手には法輪院、明王院、一切経堂、本坊などがあり、本坊の一画には大師堂、内仏客殿、庫裏が建つ。

参道突き当りの石段を上ると本堂があり、その右手に鐘楼堂、本堂背後には阿弥陀堂、笈摺堂、子安堂、そこからさらに石段を上った先に満願堂が建つ。このほか、満願堂から徒歩約意1時間ほどのところに奥の院がある。山内には他に妙法ヶ滝、「菅原道真参籠の岩屋」などがある。

  • 仁王門 - 入母屋造、三間の二重門。奥の間左右に仁王像を安置。その手前、通路の左右に巨大な草鞋が奉納されている。
  • 本堂 - 明治12年(1879年)、豪泰法印によって再興。入母屋造、正面五間、側面四間の外陣部の奥に、棟を直行させて内陣部が接続する。本尊は十一面観世音菩薩、右脇侍(向かって左)は不動明王、左脇侍(向かって右)は毘沙門天(重要文化財)である(いずれも非公開)。堂内右手に納経所、地下に戒壇巡りがあり、正面向拝の左右の柱には「精進落としの鯉」と称する、銅製の鯉が打ち付けられている。西国札所巡礼を三十三番札所の当寺で満願した者は、その記念にこの鯉に触れるならわしがある。
  • 笈摺堂 - 本堂背後にある小堂。当寺には花山法皇が禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したとされる。この堂には今日も西国三十三箇所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺、朱印帳等が置かれ、多数の千羽鶴が奉納されている。隣には花山法皇の御詠歌に由来する「苔の水地蔵尊」がある。
  • 子安堂 - 笈摺堂の左隣に建つ。本尊は子安観音。安産・子宝祈願、赤子の身体健康を願い、たくさんのよだれかけが奉納されている。
  • 満願堂 - 本堂左手裏の急な石段を上った先に建つ小堂。本尊は十一面観世音菩薩

  1. ^ 参考文献(和田、1998)pp8 - 10, pp216 - 217を参照。
  2. ^ この像は、2008年、奈良国立博物館、名古屋市博物館で開催された特別展『西国三十三所 観音霊場の祈りと美』に出品された。
  3. ^ この像は、2008年、奈良国立博物館、名古屋市博物館で開催された特別展『西国三十三所 観音霊場の祈りと美』に出品された。
  4. ^ 久野健「秘仏を待つ」『芸術新潮』1969年10月号、新潮社
  5. ^ 樽見鉄道谷汲口駅には駅員がおらず、券売機も存在しない。帰路は車内で整理券を取り、大垣駅で下車する際に現金で運賃を支払い、なおかつ、係員から「降車証明書」をもらわないと同駅の改札口を出られない。


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