英語版の公開まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 17:57 UTC 版)
「千と千尋の神隠し」の記事における「英語版の公開まで」の解説
英語吹替版はピクサー社のジョン・ラセターがエグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)を担当。配給の優先権を持っていたのはディズニーだったが、2001年8月にディズニーで行われた上映会では、当時CEOだったマイケル・アイズナーの反応は芳しくなかった。宮崎は米国での公開に積極的ではなかったが、鈴木は検討を重ねた末、宮崎の熱烈なファンであるラセターに協力を依頼することにした。1982年、宮崎はアニメ映画『リトル・ニモ』の企画で渡米し、このときにラセターと面識を得ていた。当時まだディズニーに在籍し、不遇の時にあったラセターは、『ルパン三世 カリオストロの城』を鑑賞して衝撃を受け、以来宮崎の熱心なファンとなる。1987年には『となりのトトロ』制作時のジブリを訪れてもいる。その後、ピクサーが創立されるとラセターは移籍し、1995年の『トイ・ストーリー』を皮切りに、ヒット作を送り出していた。 ラセターが説得した結果、ディズニーが北米での配給権を取得。ラセターは『美女と野獣』の監督、カーク・ワイズ(英語版)を英語版監督に、『アラジン』のプロデューサー、ドナルド・W・エルンスト(英語版)を英語版プロデューサーに指名した。英題は Spirited Away に決まった。吹替版は原作に忠実に制作された。。しかし、ラストシーンで千尋の父が「New home, new school, must be scaring」(新しい家、新しい学校に行くんだ。怖くいなぁ)と言い、千尋「I think I can manage it」(私、きっとやっていけると思うわ)がというシーンが足されている。 2002年9月5日から10日間、宮崎・鈴木らはプロモーションのために米国へ渡った。ラセターは、ピクサー社を案内したり、複葉機による遊覧飛行を用意したりと、ジブリの一行を手厚くもてなした。このときの様子を収めた映像は、DVD『ラセターさん、ありがとう』(ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント、2003年)として発売されている。 9月20日、北米10都市で公開。以後約1年間にわたって小規模ながら興行が続いた。同年12月からは全米で次々と映画賞を受賞した。最終的には約1000万ドルの興行収入を記録した。
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