苦悩に直面するローカル空港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:42 UTC 版)
「松本空港」の記事における「苦悩に直面するローカル空港」の解説
1994年の滑走路延長によりジェット機の離着陸を可能としたものの、空港の標高により滑走路の実効長が短くなっていること、及びターニングパッドなど中型機の離着陸に必要な設備の整備がなされなかったことから、ジェット機の発着には大きな制限がある。加えて、地元との協定で「MD-87を超える騒音レベルの機材を就航させる場合は協議が必要」とされており、これが拡大解釈され「MD-87以外のジェット機材は就航できない」という誤解を一部で招いている。 同空港の定期便として1994年以来就航していたMD-87型機は製造が既に1999年をもって中止、日本航空自体も同機の退役を進行中であった事に加え、搭乗率低下もあって座席数の少ないターボプロップ機(DHC-8)の運用に切り替える状況となっていた。ちなみに、同空港から2007年9月をもってジェット便は一時的に消滅、MD-87型機自体も翌2008年3月をもって日本航空からは完全に退役している。 チャーター便として、台湾、グアム、香港、上海などから、ボーイング737-800型機、エアバスA319型機が使用された実績がある。また、全日空がかつてエアバスA320型機による国内定期便就航を、大韓航空がフォッカー 100型機を用いたプログラムチャーターの就航を長野県側に打診したこともある。 上記の様な事情から、日本航空が新型のジェット機を就航させること自体は可能であると思われるが、そのような動きは見られなかった。 運用時間が8時間と短いことが利便性を損ねているとの指摘がある。運用時間延長に関しては2006年に地元との合意はできたものの、実施時期は未定である。 ただし特別な事情がある場合は運用されることがある。一例として1999年2月28日、日本初の脳死患者からの肝移植が信州大学医学部附属病院で行われた際、高知県の高知赤十字病院から肝臓を運ぶ際、高知空港から当空港まで特別チャーター機が運航された。チャーター機の当空港着陸時間は運用時間を超過していたが、人命がかかっている特別な措置として地元住民代表が運用を了承した。摘出チームは当空港より名古屋空港まで長野県の消防防災ヘリコプターで移動、名古屋空港より民間のチャーター機に乗り換えて高知まで移動。高知にて摘出手術を終えた後、高知空港より当空港までチャーター機にて移動した。当空港からパトカーの先導の下、信州大学医学部附属病院に20時過ぎに到着した(当時まだドクターヘリは運用されていなかった)。 1998年度をピークに利用客が減少しているため、航空会社はいくつかの路線を廃止している。長野県は「松本空港活性化検討委員会」を発足させ、愛称を「信州まつもと空港」と定めるなどして、利用客の拡大に努めているものの、現在のところ目立った成果は見られない。 2009年9月、経営再建中の日本航空は松本空港からの撤退を表明し、定期旅客便が消滅する可能性が生じた。(後述)
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