芦毛対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:38 UTC 版)
タマモクロスとオグリキャップの三度の対戦は、「芦毛対決」や「芦毛同士の頂上決戦」と呼ばれた。芦毛対決は強い馬同士の戦いであるだけでなく、両馬がこれまで脇役であった「芦毛」という毛色をしていたことも、盛り上げの一端を担っていた。初顔合わせとなった天皇賞(秋)は天皇賞レコードの166億4834万5400円を売り上げ、1枠のオグリキャップ、6枠のタマモクロスがらみの馬券は、総売り上げ中の81.8パーセントにも達した。 第98回天皇賞、第8回ジャパンカップではタマモクロスがともに1馬身4分の1先着し、第33回有馬記念ではオグリキャップが半馬身先着。6,900メートルの距離を走ってついた着差は合計3馬身であった。 この3戦が行われた1988年のタマモクロスの年間収得賞金は、84年度にシンボリルドルフが記録した3億6349万9200円を大幅に上回る、史上最高の4億2767万4400円となった。3億9173万4000円を収得して2位となったオグリキャップもルドルフを上回り、芦毛の活躍ぶりを印象付けた。この年度の中央競馬は、入場者数、発売額ともに前年を大きく上回る史上最高の数字を示した。JRA理事長の澤邉守は、タマモクロス、オグリキャップといった強い馬が例年になく出そろったことをこの要因として挙げている。また、両馬が対決した天皇賞(秋)には「わが国の競馬史上に残る名勝負だった」と述べた。 小原調教師は天皇賞(秋)前にオグリキャップの調教を見て「運動をしていても向こうが上に見える。負けるとすればこの馬だろう」と感じ、レース中ずっと心臓の鼓動が激しかったこととともに「勝った後の感動はひとしおでした」と振り返った。瀬戸口調教師は有馬記念後に「オグリキャップの二度の無念を、最後のチャンスで晴らすことでができて本当に良かった」と述べ、後年に「私がオグリのライバルだと思ったのはタマモクロスだけです。それだけに最後に勝てたことは本当に嬉しかった」と振り返った。 競馬評論家の大川慶次郎は、「オグリキャップ、タマモクロスは間違いなく競馬史に残るライバルとして伝えられるだろうし、私の心にもいつまでも残るだろう」と記した。一方、辻谷秋人はタマモクロスを「恬淡」と表し、その佇まいには欲や執着を感じられないことから、「頂上決戦」はその通りだが「ライバル対決」という表現には違和感を持つとしている。
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