脱落者の傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:57 UTC 版)
赤穂藩士に士分の子や隠居を含めた三百数十人のうち、1/3以上が神文を提出。そこから80名ほどが脱盟し、討ち入りに参加したのは足軽身分の寺坂を除き46名であった。神文提出の段階でまず下級武士が、そこから討ち入りが近づくにつれて比較的高禄のものが離脱した。これは、最初に下級武士がいなくなったのは、町人になるなど生計を立てる道があったからであろうし、その後で高禄のものが離脱したのは浅野大学の処分が決まりお家再興の道が閉ざされたためとおもわれる。 離脱者は時に討ち入り参加者から義絶されたり不通にされたりするが、それは討ち入り参加者が離脱者の援助を受けられなくなるという事でもあり、大黒柱を討ち入りで失った遺族の中には、経済的に困窮をする例もあった。
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