脱臼癖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:58 UTC 版)
入団1年目(1970年)に、二塁走者として出塁し、帰塁の際に右肩を脱臼して以来、持病として脱臼癖を持っていた。 1984年4月14日の日本ハム戦でホームランを打った際のハイタッチでその右肩を脱臼しており、それ以降南海では門田との強いタッチは禁止されていた。 オリックス移籍1年目の1989年9月25日、古巣の対ダイエー戦でも、3回裏に本塁打を打ち、ホームで出迎えたブーマーからのハイタッチに応じた際に、再び右腕を脱臼。この時は登録抹消までには至らなかったが、シーズン終盤での貴重な約1週間を棒に振った(同日のスポーツニッポンの取材に対し、「何度もやっているから自分でどうすればいいか分かっている」としながらも落ち込み、また、ブーマーもひどく落ち込んでいたという)。この年は近鉄、西武、オリックスが最後まで競り合った末、近鉄が優勝したが、門田が登録抹消されてから残り15試合はオリックスにとってダメージとなり、オリックスとしての初優勝は1995年まで持ち越しとなった。
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