義経神社
義経神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)
「義経=ジンギスカン説」の記事における「義経神社」の解説
義経神社(沙流郡平取町本町)は義経を祭神とする神社だが、これには諸説ある。寛政11年(1799年)、幕吏の近藤重蔵が蝦夷地探検でこの地に来た時、この地に義経伝説があることを知って建立したという。この近くの新冠郡新冠町には、判官館城跡と呼ばれるチャシ(砦)跡がある。この地に重蔵が最初に義経神社を勧請したと伝わっている。小シーボルトと呼ばれるハインリヒ・フォン・シーボルトもこの地を訪れたことがある。農耕、舟の作り方と操法、機織などを伝えたという伝説が義経神社に伝わっており、社伝によれば、義経一行は、むかし蝦夷地白神(現在の福島町)に渡り、西の海岸を北上し、羊蹄山を廻って、日高ピラトリ(現在の平取町)のアイヌ集落に落ち着いたとされ、そこで農耕、舟の製作法、機織りなどを教え、アイヌの民から「ハンガンカムイ」(判官の神ほどの意味か)あるいは「ホンカンカムイ」と慕われたこという説もある。他にアイヌの民の間ではアイヌの民から様々な宝物を奪った大悪人とされていたり、義経に裏切られて、女の子(メノコ)が自殺を遂げた場所も存在する。アイヌの酋長ベンリウクが義経を祀ったのが最初という言い伝えもある。(ボルテ・チノ日本の心2号)
※この「義経神社」の解説は、「義経=ジンギスカン説」の解説の一部です。
「義経神社」を含む「義経=ジンギスカン説」の記事については、「義経=ジンギスカン説」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 義経神社のページへのリンク