美術装飾
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「サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会」の記事における「美術装飾」の解説
サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会は、16世紀〜17世紀の巨匠たちの美術作品で装飾されている。 右側の1番目の礼拝堂には、セバスティアーノ・デル・ピオンボの『鞭打ち』と『キリストの変容』(1516年 - 1524年)がある。『鞭打ち』には、セバスティアーノとローマで友人だったミケランジェロの人物素描が組み入れられている。 2番目の礼拝堂には、ポマランチョ(同じ名前を使った画家が他に2人いる)ことニッコロ・クシニャーニのフレスコ画(1654年)をはじめ、ピントゥリッキオ派によるルネサンス期のフレスコ画数点、それにバルダッサーレ・ペルッツィ作と思われる寓意的な巫女(シビラ)と美徳がある。 4番目の礼拝堂の天井のフレスコ画はジョルジョ・ヴァザーリの作である。墓石の目印はないが、その礼拝堂の中か主祭壇の下に、ベアトリーチェ・チェンチ(1599年に虐待する父親を殺害した貴族の娘。シェリーの詩で有名)が埋葬されていると伝えられている。 5番目の礼拝堂の天井にはヴァザーリのもう一つのフレスコ画『聖パウロの改宗』がある。祭壇画はジュリオ・マツォーニが制作したものと思われる。また、インノチェンツォ・チョッキ・デル・モンテ枢機卿とロベルト・ノービリの埋葬碑はバルトロメオ・アンマナーティの作である。 左側の最後の礼拝堂には、ダニエレ・ダ・ヴォルテッラのものと思われる『キリストの洗礼』と、ジュリオ・マツォーニ作の化粧漆喰細工と天井のフレスコ画がある。 1797年までラファエロの最後の傑作『キリストの変容』が主祭壇を飾っていたが、現在はバチカン美術館にある。代わりに、グイド・レーニの『聖ペテロの磔刑』(これも今バチカン美術館にある)をカムッチーニが模写した絵が飾られている。 3番目の礼拝堂には、アントニアッツォ・ロマーノの弟子が描いたフレスコ画『聖アンと聖母子』がある。 ユトレヒト派の中心人物だったドリク・ファン・バブレーンもピエタ礼拝堂のために『埋葬』を描いたが、その絵はカラヴァッジオの『キリストの埋葬』とよく似ている。同じオランダ人のDavid de Heenもバブレーンと一緒にここで仕事をした。『キリストの嘲弄』と『楽園の苦しみ』が二人のうちのどちらか、あるいは共同の作品とされる。 左の2番目の礼拝堂ライモンディ礼拝堂を設計したのはジャン・ロレンツォ・ベルニーニである。そこにはフランチェスコ・バラッタの『聖フランチェスコの法悦』と、アンドレア・ボルジとニッコロ・サーレが手掛けた彫刻がある。
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