美術装飾とは? わかりやすく解説

美術装飾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 08:24 UTC 版)

サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会」の記事における「美術装飾」の解説

サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会は、16世紀17世紀巨匠たちの美術作品装飾されている。 右側の1番目の礼拝堂には、セバスティアーノ・デル・ピオンボの『鞭打ち』と『キリストの変容』(1516年 - 1524年)がある。『鞭打ち』には、セバスティアーノローマで友人だったミケランジェロ人物素描組み入れられている。 2番目の礼拝堂には、ポマランチョ(同じ名前を使った画家が他に2人いる)ことニッコロ・クシニャーニのフレスコ画1654年)をはじめ、ピントゥリッキオ派によるルネサンス期フレスコ画数点、それにバルダッサーレ・ペルッツィ作と思われる寓意的な巫女シビラ)と美徳がある。 4番目の礼拝堂天井フレスコ画ジョルジョ・ヴァザーリの作である。墓石目印はないが、その礼拝堂の中か主祭壇の下に、ベアトリーチェ・チェンチ1599年虐待する父親殺害した貴族娘。シェリーの詩で有名)が埋葬されていると伝えられている。 5番目の礼拝堂天井にはヴァザーリもう一つフレスコ画聖パウロの改宗』がある。祭壇画はジュリオ・マツォーニが制作したものと思われるまた、インノチェンツォ・チョッキ・デル・モンテ枢機卿とロベルト・ノービリの埋葬碑はバルトロメオ・アンマナーティの作である。 左側最後礼拝堂には、ダニエレ・ダ・ヴォルテッラのものと思われるキリストの洗礼』と、ジュリオ・マツォーニ作の化粧漆喰細工天井フレスコ画がある。 1797年までラファエロ最後傑作キリストの変容』が主祭壇飾っていたが、現在はバチカン美術館にある。代わりにグイド・レーニの『聖ペテロ磔刑』(これも今バチカン美術館にある)をカムッチーニが模写した絵が飾られている。 3番目の礼拝堂には、アントニアッツォ・ロマーノ弟子描いたフレスコ画『聖アン聖母子』がある。 ユトレヒト派の中心人物だったドリク・ファン・バブレーンもピエタ礼拝堂のために『埋葬』を描いたが、その絵はカラヴァッジオの『キリスト埋葬』とよく似ている。同じオランダ人David de Heenもバブレーンと一緒にここで仕事をした。『キリスト嘲弄』と『楽園苦しみ』が二人のうちのどちらか、あるいは共同作品とされる。 左の2番目の礼拝堂ライモンディ礼拝堂設計したのはジャン・ロレンツォ・ベルニーニである。そこにはフランチェスコ・バラッタの『聖フランチェスコ法悦』と、アンドレア・ボルジとニッコロ・サーレが手掛けた彫刻がある。

※この「美術装飾」の解説は、「サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会」の解説の一部です。
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