織田有楽とは? わかりやすく解説

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おだ‐うらく【織田有楽】

読み方:おだうらく

[1547〜1622]安土桃山江戸初期武将信秀の子信長の弟。名は長益。兄の死後一時豊臣秀吉対立したが、のち秀吉仕え大坂夏の陣直前京都隠棲して風流を友とした。利休高弟七人の一。有楽流の祖とされる織田有楽斎


織田長益

(織田有楽 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/19 16:32 UTC 版)

織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名茶人長益系織田家嫡流初代。 織田信秀の十一男で、有楽・如庵(うらく・じょあん)と号した。そのため、織田有楽斎(おだうらくさい)として言及される場合も多い[1]


注釈

  1. ^ 筆者は、狩野山楽とする説と、木村徳悦とする説がある(前者は田沢裕賀 「正伝院に伝来した二つの肖像画をめぐって」『栄西建仁寺』展図録、読売新聞社ほか、2014年。後者は、門脇むつみ「近世の絵仏師[徳悦、徳応、貞綱(徳栄)]の肖像画制作」『鹿島美術研究(年報第32号別冊)』 公益財団法人 鹿島美術財団、2015年11月15日、p.465)。
  2. ^ 「慶長見聞書」によると石田隊が黒田隊・細川隊の攻撃を受け崩壊すると、頼郷は有楽を見つけ、斬りかかりあわやというところに家臣の千賀兄弟が頼郷を討ち取りその首を主君・有楽に取らせた。

出典

  1. ^ 織田有楽斎』 - コトバンク
  2. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』、近代文芸社、2000年。
  3. ^ 『日本戦史・関原役』
  4. ^ 角川日本地名大辞典 27 大阪府』(同辞典編纂委員会、竹内理三編、角川書店、1991年)P.1118
  5. ^ 国際ツバキ協会 Web Camellia Register Uの項11ページを参照
  6. ^ 麹町わがまち情報館”. 麹町出張所地区連合町会. 2016年10月13日閲覧。
  7. ^ [1]
  8. ^ 川端直正 「西成区史」 西成区市域編入40周年記念事業委員会 1968 第1編 総説 第1章 西成区の誕生


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